親友と夜中の学校へ忍び込んだアリスは、そこで行われているもう一つの授業を目にする。見知らぬ生徒たちに、奇妙な授業内容。アリスは、偶然ポケットに入れていた石膏の卵のせいで、なぜか彼らの仲間と間違えられ、授業に加わるが……。
かつて、私の通っていた中学校の図書室には、「中学生で長野まゆみ読まなくってどうするの。はじまんないじゃない」という司書氏の教育方針のもと、長野まゆみ作品がズラッとありました。棚に河出文庫旧版の青白の背が行儀よく揃い、不思議な字面のタイトルがこちらに謎をかけていました。一冊の分量が少なく、つまり薄い。パッケージされたお菓子でも選ぶように、それらを連日借り始めたのが、私と長野作品との出会いでした。
そんなわけで、長野まゆみ初期作品です。「少年」と「卵」だからといってヘッセの『デミアン』に取り組むような強い構えはしなくていいのです。長野まゆみにおいて、卵の円環は破るものではない。主人公の少年、アリスは物語の途中で卵の殻の中に閉じ込められてしまいますが、親友が探しに来てくれます。大丈夫、ちょっと恐ろしめのかくれんぼというところ。物語の意味上、確実に死んでるけど。
姿を変えられたアリスを助けるため、蜜蜂(註:これがアリスの親友の名前)は夜の学校を駆けまわります。彼が中庭の噴水の栓を開けて、“秋の使者”を招き入れ、季節を夏から秋へと回したとき、ついに―。
円環は破るのではなく、少し力を加えて、あるべき方向に回す。そうすれば案外、何事もなかったように死の世界から生の世界へ、帰ってこられたりする。

さて、長野まゆみ作品をひととおり読み、その残酷な貌も妖しの貌もひととおり見た私は、これは本好きな生徒がリクエストで入れていった蔵書なのだと思いました(初期作品はともかく、『夏至南風』や『猫道楽』なんてよく入ったなーッ)。教師や司書が入れるはずないない。そこで卒業時に司書氏に聞きました。
「センセエ、長野まゆみはなんで揃ってるんですか?」
その答えが、前述の「中学生で長野まゆみ読まなくってどうするの」。膝から崩れ落ちた。
余談ですが、司書氏は回転書架をくるくる回して「裏側には澁澤龍彥に抜けられるように仕掛けたっ」とさらにおっしゃいました。うわ……私は罠のうさぎだった……。
「中学生で長野まゆみ読まなくってどうするの」というフレーズ、その場では脱力してしまったんですが、よくよく考えてみるともっともかもしれない。長野まゆみはたくさんの作品の中で、生きること死ぬこと、別れや決裂、性や生殖をメルヘンに包んで描き、同時にその問いの、上手なかわし方を示してくれた。
円環は破るのではないし、あなたは独りではない。
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