日記のような、ひとりごとのような文章を少しずつ書いて、少しずつ消していくページです。

2026.1.14【行軍】
飲み会の後、ほかの人の車で乗り合わせるとか近い人で集まってタクシーを呼ぶとか、そういう作業がそこはかとなく苦手で、「うち近いので」と言ってその場を早々にあとにし、しんしんと降る雪の中を30分歩いて帰宅。
2026.1.13【謎めいた美少年2】
長野まゆみ『天体議会』にはドラマCD版があって、その「謎の少年」役の声優が石田彰、つまりアニメ“新世紀エヴァンゲリオン”のカヲル君なのだ。それでなのか、知らず知らずのうちに引っ張られてしまう。
『天体議会』のCDを借りて聴いたことがある。オーディオドラマだが、長野まゆみの文体が残った、朗読劇に近い印象だった。セリフが文語の硬さを持っていた。それはそれで、翻案としてはありだと思う。あのレトロな文体が作品の核であり、はずせないと脚本家は解釈したのだろう。私もそう思う。
しかし、その文語のセリフを、あたかも「そういう口調」であるかのように自然に演じる人がいた。それが石田彰だった。採石場の場面でけっこうな長台詞を「謎の少年」が話す、それが「こいつはもともとこういう話し方なんだろうな」とさえ感じさせる説得力を持っていた。すばらしい演者だった。
それはそうと、キャラデザの組みなおしだ。なぞめいたびしょうねんねー。
2026.1.12【謎めいた美少年1】
「謎めいた美少年」を描こうとしているのだけど、とりあえずエヴァンゲリオンの渚カヲルくんからいったん離れよう。もうちょっとバリエーションを検討しよ。もっと顔立ちがきつくてもいいかな。奴は信号機壊してるんだし。

2026.1.11【冷蔵庫(セットで安くしてもらった)】
冷蔵庫を、買い替えた!!ついに!
冷凍室が壊れてから約1年。買い替える手間を惜しんでいるあいだ、私という人間は、不便に適応してきてしまったのだ。冷凍室くらいなくても暮らせるもんねー(自分でもどうかと思う)。
ところが、先日電子レンジが壊れた。これはかなり困った。そこで、仕方なく重い腰を上げて電器屋に行き、電子レンジのついでに、ようやっと冷蔵庫も注文したのである。
何人もの店員さんに「お引越しですか?」と聞かれた。
ですよね。ふつうそう思いますよね。単なるものぐさの結果です……。
2026.1.10【今年の目標を立てない】
そんなこんなで年末年始にかけて痩せてしまった。かといって、連休でいきなりごちそうを食べられるほどもう若者ではない。食べたかったけど、おなか壊す気がする。
新潟の大きなお麩を煮て食べる。お麩、うまー。いちおうタンパク質も含まれてるから、いいよね……含まれてるんだよね?そうは見えないけど。ほんとかな。まあいいか。
毎年この時期に「本の話」で取り上げる本の目標を立てていたけれど、今年はやらないことにした。
ひとつには、去年『小夜子』に追われまくったため。
私の性質上、「言ったからにはやらねば」と思うと頭から離れなくなり、丸1年『六番目の小夜子』について考えていた。それはそれで幸せだった一方、ほかの作品になかなか手が付けられなかった。人間には寿命というでかい締め切りがある。その中でなんとかやっていかなくちゃいけない。もうちょっと軽率に、「やってみてできた作品から載せる」くらいでいこうと思う。
もうひとつは、ちょっと自己実現に傾きすぎたと思うため。
自分がこの作品を扱いたい、この分析をできるようになりたい、という動機で知識や技術を磨いていくのも楽しいのだけど、このブログは、そういう価値観の外に出るためにある。アンチ現代。あるのかないのかわからない「公益」のために身を振り捨てていくのは、もっとクールで楽しいはずだ。
今年はがんばらない。選書は運を天に任せる。イラストは萌えに任せる。いつか誰かが見つけてくれるでしょう。
そしてその誰かにとっていい記事であれば、それ以上は望むべくもないんだ。
2026.1.9【紅茶買い出し紀行2(横浜無謀編)】
年末、軽い気持ちで立ち寄った横浜高島屋の地下食品店街は、人生で見たどのデパ地下よりも難関だった(ハイシーズンの京都大丸以上)。
フロアの床が見えないほどの人混みだ。「最後尾」のフダがちらほら見える。ということは、列があるんだ……なんのだろう?それがなんであるかも、もはや判断不能なほどの人混みなのだ。
北海道民は、スーツケースを片手に案内板の前で途方に暮れた。年末セールに行きあたってしまったらしい。無謀だった。紅茶はあきらめて引き返そう、と思ったとき、声をかけられた。
「何かお探しですか?」
お菓子の販売員ではない。スーツ姿でデパートの名札がついている。「都会のデパートにはコンシェルジュがいる」という知識はおぼろげにはあった。初めて見たけどこの人がそうかも。“TWG”をきくと、案内してくれるという。うーん……この人混みでしょ?私、退却しようと思ってたところなんだよ。でも、そこまで言われると断りにくいな、と思っているうちに向こうは動き出した。
そうしたら、コンシェルジュ(?)を先頭にすると、人垣がわれて道が開けるのだ。
えー!こんな手があったか。あっという間、とはいかないまでも、スーツケースを抱えつつかなりスムーズに目的地に着き、無事茶葉を購入することができた(ミルクティーに合う、すっきりとした渋みのウヴァ・ハイランズ)。
買っているあいだも信じられない気持ちだった。すごい。すごいなあ。ありがたい。じつに快適……だったけど、もしかしてこの時期はおもにこれ(人混みをわる仕事)ばっかりやってるのかな。大変だ。お風邪召されませんよう。
衝撃を受けてこの話をガッツ(友人、仮名)にしたら「たぶんそれはセールじゃなくて、ふつうに年末の人出だよ」と言われた。
横浜。
おそるべき街。
2026.1.8【(休)】
すさまじい眠気のため更新を断念。マイナンバーカードやっと取れた。
2026.1.7【紅茶買い出し紀行1(東京快速編)】
年末に本州に行って、(この北海道のやたら長い)残りの冬を過ごすための紅茶茶葉を買い出ししてきたので、備蓄は潤沢だ。絵本のなかの、穴倉で冬ごもりするヤマネのよう。ほくほく。
まず東京・水道橋のスリランカ紅茶店“セイロンドロップ”でスパイスティーとミルクティーブレンドを。ここのミルクティーは濃い目に出しても全然渋くならないのですばらしい。レジを打ってくれた店主に「紅茶っぽい格好」と言われる。そう?クラシックな紺色のピーコートの下にオフィサーシャツっぽいものを着て、イギリス海軍風ではあった。
それから同じく東京の有楽町にある“カレル・チャペック”でルフナを。ここのルフナも茶葉自体にほのかな甘みがあっておいしい。パッケージのうさぎはかわいいが、味は本気だ。うさぎ強し。
調子に乗って、横浜に行ったついでに高島屋に入っているらしい“TWG”にも寄ろうと思いついた。しかし、これが北海道民には予期せぬ難所であった……。
2026.1.6【中沢新一の幸福】
『音楽のつつましい願い』のコダーイの章といい、東欧の作曲家について語るときの中沢新一のキレはすごいものがある。『音楽のつつましい願い』の「孔雀のように―コダーイ」は、ほぼセリフだけで書かれた小説のような論考で、あまりにも胸を打たれたので一章まるごと朗読してしまった。蓄音機を持って、村中から民謡を集めて回ったコダーイと、元気な村の娘さんたちの姿が見えるような、生き生きとした文章だ。どうしてこんな…………しまった。また中沢新一をかっこいいと思ってしまった。落ち着け。
しかし中沢新一の描く「幸福」は、私の思い描く「幸福」に大きなずれなく一致するのだ。だから読んでいて気持ちがいい。おおかたの作品の描く「幸福」を「ほんとにそうかなあ……」と2,3歩下がったところから見てしまう私にとって、かけがえのない書き手である。
2026.1.5【ミクロコスモス2】
“ミクロコスモス”に限らず、バルトークの作品って、いきものっぽい。
思い出して、中沢新一の『純粋な自然の贈与』から“バルトークにかえれ”を読み返す。中沢はバルトークの楽曲を「生命と死、有と無とが、微妙な往来をくりかえし、生成と解体が同時に進行していく」(p.124)境界面上に接近する作品だ、と表現している。そうか、いきものの「生」の部分だけじゃないんだ。
……しまった。また中沢新一をかっこいいと思ってしまった。いかんいかん。
2026.1.4【ミクロコスモス】
ずっと、は言いすぎた。たまに違う曲も聴いていた。バルトークの“ミクロコスモス”とか。感情というよりは、意識が動かされるものを。
“ミクロコスモス”を1巻からぼんやり聴いていくと、春の野原でなずなやはこべをひとつひとつ見つめている心地がする。単純で、でも有機的で、あたたかな生命力を感じる。最終巻の「ブルガリアのリズムによる6つの舞曲」くらいになると、生い茂った時計草や蔓薔薇のようだ。複雑で、もう私の耳では追いきれぬ。しかし、美しい。
2026.1.3【ジムノペディ】
今回、ずっとエリック・サティの“ジムノペディ”を聴きながら「本の話」を作っていた。もう人生でこんなに聴くことはないと思う。
『46番目の密室』のためにバッハの“ゴールドベルク変奏曲”をグールドの演奏でずっと聴いていた秋が思い出になったように、この先“ジムノペディ”を聴くと、この冬のことを思い出すのだろう。
2026.1.2【転位のための十篇と私】
12月27日の訂正。岩波文庫の『吉本隆明詩集』で、蜂飼耳が「時代背景に関する知識や情報がなくても読むことができる普遍性がある」と評しているのは、『転位のための十篇』ではなく、初期詩集『固有時との対話』です。
……まあそうだよね。一読して『転位のための十篇』は時代背景が強い。『固有時』を書くようなひとが本気になって社会に飛び出していったときに、血を流しながら『転位』が書かれた。1950年代の社会がこの詩集のもう一人の作者だ。当時の人々がなにを良しとしてなにを信じ、そして『転位』のどこが「そうでない」のか見えてこないと、この詩集を語れないと思う。イラストは浮かぶんだけどな(むしろなぜ?)。
気を抜くと「そもそも90年代生まれがこの詩集を好きなことが間違ってるのでは……」という振り出しに戻ってしまうので、来週図書館に行って助けを求めよう。そうしよう。
しかし私、過去に天沢退二郎作品を扱ったとき、全然こういう調べ物をしてないんですね。ウワー怖いもの知らず。
2026.1.1【仕事】
でも、小さい頃から「お正月も仕事」という職業に憧れていた気もする。
2025.12.31【休暇】
ガッツ(友人、仮名)の家で、鍋を囲み白ワインを開け猫にかみつかれながら、仲間うちの忘年会をした。
ついでに“機動警察パトレイバー アーリーデイズ”シリーズを一気に観た。学生のとき以来だ。“二課の一番長い日”を年末に観られてうれしい(※冬期休暇中の事件で警官たちがそれぞれの帰省先から急行する話なのだ)と思っている間に、私の手元の端末には年末年始の仕事の連絡がどんどん入ってきて、あっというまに大晦日と元日を失うことが決定した。このペースだと2日も消えるだろう。
げんなりしながらも感慨深いものがあった。私はもう学生じゃないんだ。画面のなかの彼らと同じだ。なにもできなかった奴が、まがりなりにも社会の一員として、よくここまで残ったと思う。この状況もまた一つの幸せかもしれない。“パトレイバー”もまた、特別有能な人たちの話ではない。未熟さや欠点や過去の汚点を抱えて周りと衝突しながら、それでもなんとかやっている。
しかしそれにしても、「今年の年末はなんだか落ち着いててー」の楽観から事態の急展開まで、あっというま過ぎた。こっちはアニメじゃないんだよー!友人たちがげらげら笑う。
まあ、新卒から一貫して運のない奴ではある。こうなったら来年に期待するしかない。
2025.12.30【生活】
私:「来年は映画もたくさん観て、絵も今年並みに描いて、現象学最低限やって、リクールも読みたいんだ。上手くなりたい。あと、なにやればいいと思う?」
ガッツ(友人、仮名):「寝ろ」
私:「『六番目の小夜子』読んだらぜひ連絡ください。『小夜子』の初読感想からしか得られない栄養があるんだ……!」
優美ちゃん(友人、仮名):「ごはんから栄養とって」
2025.12.27【忘年会】
職場の忘年会に行く。それはそれで楽しかったのだが、一方でやはり釈然としない気持ちもあったのか、未明にふと目が覚めた。というか、目が覚めて、自分は納得していないんだなと思った。われながらあきれるほどの反骨精神だ。
スタンドの灯の下で岩波の『吉本隆明詩集』から“転位のための十篇”を再読する。解説で蜂飼耳が、この詩集を「時代背景に関する知識や情報がなくても読むことができる普遍性がある」(p.326)と評していた。私のような若輩者がこれを語っていいのかと思っていたから、うれしい。
依って立つのではなく、抗して立つことから始まる人格がある。いつの時代も一定数いる。
ぼくのこころは板のうへで晩餐をとるのがむつかしい
吉本隆明著『転位のための十篇』所収“廃人の歌”より
(12/28-29はmonologue休みます)
2025.12.26【謝カフェ祭】
クリスマスが終わってカフェ禁を解いたので、隣町のカフェまで出かけていって、季節のラテを注文した。ストロベリーソースとホイップクリームがのった豪華なやつである。さすがにうちでは作れないぞ。
運ばれてきた瞬間、テンション上がった。おお、これぞウィンターホリデーって感じ!やっぱりお店屋さんってすごい!
当初は「そういえば、もうカフェ代貯めなくていいんだった」という気持ちでふらっと来たのに、このテンションの上がりようはなんだ。私にしっぽがあったら周りが引くほどバッサバサ振って抜け毛を散らかしている。なくてよかった。
中世の謝肉祭ってこんな気持ちかな。あれは節制期間に入る前だけど、気持ちはわかる。聖人にはなれない。俗人は定期的にどんちゃんしよう。
2025.12.25【annabelの“wormhole”】
偶然流れてきた知らない歌手の歌にはまってしまった。私にしては珍しいことだ。cero以来?
annabelの“wormhole”という曲だ。一聴して目が覚めた。少年少女ディストピアSFじゃないか!声も素敵だし、物語性がある。引き込まれる。ここはいったいどういう世界なんだろう?「ああ、美しいその目が疑った/表も裏もないのにまるで正気をなくした世界」
ところで、「朝方のニュースで繰り返し伝えられた/哲学者の死を明日には誰も知らない」も不思議な歌詞だけど、私はこの「哲学者」がジル・ドゥルーズのような気がしてしまう。根拠はない。出だしの「地上を離れた脚には新たな枷」からの連想でしかない。ドゥルーズは1995年、パリにある自宅の窓から飛び降りて死んだ。
2025.12.24【キリストの前に現金を積んでいくスタイルでやった(貯金箱ないのだ)】
12月っぽいことをする。
ひと月控えた分の外食費用を、フードバンクの口座に寄付する。米5kg分なり。ちょっと足りなかったから最後だけ気合いで出した。
子ども食堂の食材代や、必要なお宅への食料配布に使われる。メリークリスマス。
このタイミングだともう餅か。

2025.12.23【灰色】
昔、私が好きな色は青色だった。宇宙を覗くようなラピスラズリ。南の海のタヒチアンブルー。しかし20代の数年間、美しいものを美しいと思うエネルギーもなくなった時期があり、それを過ぎて私に残った色は、灰色だった。灰色は優しい。灰色はなにかを要求しないから、見た人もメッセージに応えようとしなくていい。私は自分のブログの背景を灰色にした。同じように力の尽きた人に、負担なく見てもらいたかった。
最初はブログテンプレートを使って無彩色のグレーにしていたが、しばらくして、まったく彩度がないグレーも人を緊張させるものだと思った。私はかつて撮った冬景色の山の写真を拡大し、雪に落ちる影の部分をいくつかクリックして画像ソフトに取り込み、コードにした。
写真では確かに灰色だと思ったのに、表示された色は薄い青色に見えた。
ただ、この青色はなにも要求してこなかった。まあいいか、と基調色に据え置いて、もう数年になる。
2025.12.22【青色】
青色で綴じられていたウィトゲンシュタインの講義ノートを編纂して「青色本(The Blue Book)」と名付けた人も、訳した人も、いいセンスをしている。ありのままを付けたようでいて、どことなくモダニズムの香気が感じられる。
青という色自体は尽きせぬイメージをかきたてる色なのに、「青色」という文字の並びになったとたん、後に続く言葉は「申告」(※確定申告)か「本」しか思いつかない。もったいない。日本語の敗北じゃなかろうか。せめて「本」があってよかった。
ところで、大阪のYA古書店・大吉堂にあった、林みかせ『青色図書館』というかわいい少女漫画が読みたい。
2025.12.21【前髪自分で切ると2】
やってしまった。
「街に愛の歌 流れはじめたら」とか「街中 輝く夜に包まれて」とか、陽気なクリスマスソングがなぜか頭の中を駆け巡った。そういうきらびやかな季節を私は「これ」で過ごさなくてはならないんだなあ……。
人生は儚い。
とにかく、今日は調べ物のために図書館に行きたい。
ベレー帽で前髪をごまかしてみた。前はなんとかなったが、後ろ髪も伸びているので、これは予想以上にチェ・ゲバラ。
2025.12.20【前髪自分で切ると】
かといって、すきばさみを持って自分で切るとこう(↓)なるのだ。

『機龍警察』の鈴石緑主任の髪型はおかっぱであることしか作中描写がないのだけど、前髪は自分で切っていると思う。
学生時代に投稿イラストで緑ちゃんを描いたとき、「長時間画面を見る仕事の人が前髪長いはずない」と考えて、前髪が短いデザインにした。

それが、自身が社会人になって「あの連勤具合で美容室に行けるわけない」ことを身をもって知り、「前髪自分で切ってる」鈴石緑キャラデザに行き着いたのだ。
そうだ、前髪切ろうかな。おおかた失敗するのわかってるんだけど。
2025.12.19【癖(ヘキ)と反省】
前髪が一束、顔にかかっている、ときどきは瞳の前を横断していくような髪型を、好きでよく描いてしまう。物憂げというか、ちょっと尋常でないような雰囲気が出るので好き。

しかし現在、床屋に行く余裕がなくて、自分がこれ(↑)なのだ……。前髪が鼻の付け根まで伸びている。
なってみてわかった。これ、髪が視界に入って地味に!気が!散る!毛先かゆいし!ごめん。なんにも考えずに描いてて、いままでごめんよー、みんなー。
と言いつつ、描く分にはこれからも描くでしょう。
2025.12.18【山崎正和『柔らかい自我の文学』2】
ていうかまず持ってる語彙が違う。見えてるものも違いすぎる。「人生の真の姿は、所詮、始めも終わりもない無限の経過なのであるが、それを公然と認めることは、近代人にとってながらく容易なことではなかった。」(p.155)なんて書きだし、私、あと40年生きてもできそうもない……。この事実そのものは近代批判としてよくあるにしても、「なのであるが」までの部分が自分の言葉でスッと出てくるのすごいよ。それとも、昔の人ってみんなそんなものなの?
そもそも私は「人間力とか感性を試されるくらいだったら難解な哲学書と格闘したほうがまし」という動機でテクスト分析を選んだ人間だ(それが理由のすべてじゃないけど)。でもたしかにね、作品を現実の世界に接続してこその文芸評論という面もある。やりたいときにこういう文章が書けるくらい、社会を見る目を養っておいたほうがいいでしょう。……40年後でいいですか。
2025.12.17【山崎正和『柔らかい自我の文学』】
伊丹敬之『創造的論文の書き方』から薦められて、山崎正和の文章を初めて読んだ。とっつきやすいかなと思って、まずは文芸評論を読むことにした。
たしかに読みやすい。疲れていても、すっと頭に入ってくる文章だ。よく見ると、各段落ごとの文章が、対比や並列なら、意識して構造をそろえてあるのがわかる(私が論文を書くとこれができてない箇所があって注意される……)。
しかし、これが伊丹の言うように「文章自体が論理を前に押し進めていくような文体」だろうか?たとえ最初はそうだとしても、完成までに徹底的に読み手ファーストに直してると思うけどなあ。一つの結論に向かって筋が追いやすいように。文章自体が論理を前に押し進めていったら、こうはならない。ただ論理を進めていったらぶち当たるであろう壁がない。すでにのけてあるのだ。それってふつうのことだけど。うん。ふつう。山崎正和のは、ふつうに洗練された文章だと思う。
「文章自体が論理を前に押し進めていくような文体」って、私の中では吉本隆明がそうなのだ。壁を残してあって、書き手がもう一度読み手と一緒に乗り越える。吉本は論考を書いていくあいだの「ああでもないこうでもない」という自問自答を、「誤解されそうなんだけど、この概念はこうではない」というハズレ選択肢として読み手にわかるように示してくれていて、それがすごくわかりやすい。ライブ演奏を聴いているような高揚感もあって良い(もちろん本当はライブではない。計算されつくしたふるまいだ)。
読んでもらう論考なら試行錯誤部分は書かない、というのが基本の作法であり、とりあえず私もそうする。
しかしながら最終的には吉本隆明タイプの文章を目指したいところだ。単純に、好きだから。
言うだけは。言うだけはタダですからねー。
2025.12.16【シャンソネッタ・テデスカ】
中世ヨーロッパの作曲者不詳の舞曲“シャンソネッタ・テデスカ”を聴く。シンプルなメロディで、展開部の各楽器ソロが楽しい。いろいろな楽団の演奏を聴いている。
日本の古楽演奏集団であるダンスリーの演奏がノリが良くてかっこいい。ほかの演奏と比べて単純にテンポが速いのもあるけれど、拍自体を、いい意味で前のめりにとっているかんじがする。気持ちよく弾んでいる。
こういうの、濱田芳通も指揮得意そうなんだけど、アントネッロでやってくれないかなあ、シャンソネッタ・テデスカ。
データの打ち込みをしながら鼻歌で歌う。
2025.12.15【髙村薫『マークスの山』3】
文庫下巻に入った。まったく忘れてた。こんなに泥縄の展開になるんだっけ?大変!ロッカーを開けても万札が用意されてない!マークスがんばれ。
……マークスを応援してどうする。でも、『レディ・ジョーカー』でもレディ・ジョーカーの皆さんを応援したし、『黄金を抱いて翔べ』でも銀行強盗の皆さんを応援してしまうのだ。髙村薫の犯罪小説ってそう。少なくともそう読めるように書いてある。
