MONOLOGUE

 日記のような、ひとりごとのような文章を少しずつ書いて、少しずつ消していくページです。

2026.3.1【花豆の煮えるまで】
 ここへきて『花豆の煮えるまで』の記事がじわじわと評判良くて、うれしい。安房直子作品のなかで有名なほうではないのに、皆さん見つけ出してくださる。でもほんとに可憐な物語ですよ、これは。
 あとは『クラバート』の記事も、たくさんの人に見てもらっているようでうれしい。これはたぶん、私が記事を頑張ったというよりも、『クラバート』の日本語によるレビューが意外と少ないので、単にニッチに収まっただけだと思うんだけど。

2026.2.28【二月最後の日】
 恩田陸の『麦の海に沈む果実』で、水野理瀬が湿原のなかの学園に転入してくる日だ。

 気づいたのがおとといなので、今年はなにも描けなかった。ごめん理瀬。

2026.2.27【“コット、はじまりの夏”における井戸】
 死んだ息子が井戸を好きだったのかもしれないし、先祖代々の井戸だから埋めるのはもったいなかったのかもしれない。本当のところはわからない。
 しかし、物語のコード上はわかる。親戚の夫妻に預けられてひと夏を過ごし、多少明るい少女になったコットが、最後に頭から井戸に落ちるのには、それなりに意味がある。
 現在、カトリックの洗礼は額に水を塗るだけになっているが、昔は頭部全体を漬けていた。もっと昔には川に入って息を止めていた。そうして、いったん死んで生まれ変わったことにしたのだ。アイルランドのカトリックをここまで丁寧に描いている映画で、この井戸に落ちるシーンが洗礼と関係ないわけがない(気をつけて観ればもっとたくさん、宗教的に読めるシーンがあるはずだ。最後の「パパ」もそう)。
 コットはいったん死んで、新しく生まれ変わった。たとえ彼女の帰る家が暗くても、これからの彼女のゆく道は明るいだろうと想像できる。
 井戸がなければ人は死なないが、再生もできないのだ。夫妻は井戸を埋めて悲しみを無かったことにするのではなく、井戸を通じて再生する道を選んだ。そして、それがついにかなったのだ。

2026.2.26【コルム・バレード監督 “コット、はじまりの夏”】
 映画、情報量のでかさが苦手なのだ。
 苦手の一因として「音声やストーリーの伝えるメッセージと、画面(ショット)の伝えるメッセージが食い違っている」ときがあり、どちらが作品内での事実かわからないから、いままでは複数パターンの可能性を考えたまま観続け、ただでさえ小さい脳内CPUを圧迫していた。
 それが去年、映画は「画面のメッセージを優先する」一択でほぼ間違いなく観られる、と気づいた。少し楽になった。

 “コット、はじまりの夏”(コルム・バレード監督、2022年)を観る。
 ほらね。「画面のメッセージを優先する」でOKだ。楽しくないときは暗い画面だし、楽しいときはたとえ牛舎の中でも明るく撮られている。セリフに左右されなくていい。それに、夫婦の息子は「井戸に落ちて亡くなった」が事実なんだと思う。近所の人の言う噂は間違っている。そうでなければ、井戸をあそこまで意味ありげな撮り方はしないはずだから。
 そうすると、「夫妻はなぜ井戸を埋めなかったのか」という当然の疑問が出てくるわけだけど。これはわりと考えて良い問いだと思う。
 カンだけど、井戸を埋めたら、この二人は悲しみの底から立ち上がれなかったはずだ。

2026.2.25【M-L・フォン・フランツ『おとぎ話における影』】
 M-L・v・フランツ『おとぎ話における影』を読んでいる。うわー。Twitterでつぶやいていたのが恥ずかしくなってきた。そんな単純に正解が一つに決まるもんじゃないんだよこれ。もっと全体を見なきゃ。
 ただ、思っていたより対象を限定しない分析方法なので、これはたしかにこころづよいものだ。
◆ユング派心理学分析の手法が特に有効そうだとかねてから思っていたもの
・梨木香歩『裏庭』
・ル=グウィン『ゲド戦記』
・小野不由美『十二国記』
・上橋菜穂子『精霊の守り人』←それだけではできないが、あった方がぜったい良い
◆この本を読んでいて、これも射程内だと気づいたもの
・“魔法少女まどか☆マギカ”
→あっ!そうだよね!もし河合隼雄が“まど☆マギ”を初見視聴する企画があっても、あの展開に「そうですやろな」としか言わない気がする。劇場版“叛逆の物語”のラストも、ユング派の眼で見れば「そうですやろな」的な展開だ。言われてみればそう。

2026.2.24【平出隆『胡桃の戦意のために』】
 平出隆の詩集『胡桃の戦意のために』を読む。
 ひとっっっっっつもわからない。完敗。いっそ清々しい。これなら吉岡実の詩のほうがまだわかる。
 ただ、石果となった胡桃や蝸牛が生き生きと描かれるのに対し、人間は「死に死に」というか、いつも生命力の弱った状態として描かれる。奇妙な逆転の世界であることはわかる。地下道に爽やかな風が吹き抜け、はぐれ雲が通っていく。そんなわけあるか。
 でも、そんなわけがないとどうしていえるのか。

2026.2.23【あらゐけいいち『Helvetica Standard』】
 あらゐけいいちのギャグマンガ『Helvetica Standard』を貸してもらって読む。
 ひええ。絵が上手い。キャラクターの背景に描かれるコンビニ、空を渡っていく電線、バス停にうきうきしてしまう。ただ観察力があるだけでなく、画面の全ての物がこのひとのデフォルメで、このひとの線で描かれている(たばこ屋の外壁のタイルがひとつひとつ描いてある!)。すばらしいことだ。こういう画面を見るのは至福である。
 あらゐけいいちのギャグやキャラクターにほれ込んでいるファンが聞いたら怒り出しそうだが、私はあらゐけいいちの描く街の風景が好きだ。
 で、あらゐけいいちが街を描きまくる、その名も『CITY』という作品があるんですって!?
 Amazon Prime予算案とか審議してる場合じゃなくない?
 内閣閣議決定、全巻購入では?

2026.2.22【自分内議会(聖域なき改革編)】
 ざくざく雪を踏んで歩きながら、昔のことを思い出す。
 「断捨離」や「こんまり片付けメソッド」が流行ったとき、私は学生で、自分も周りも一人暮らしが多かった。
 断捨離orこんまりを思い切り過ぎて、炊飯器を売りはらった大学の同期がいた。彼女はしばらくして「なんであんなばかなことをしたんだろう」と言い、炊飯器を買いなおした。
 でも、私は愚かだとは全く思わなかった。むしろ憧れた。炊飯器ってふつう、無くそうと思わない。服や靴だけじゃなくて家事のすべてを、ほんとうに自分の生活のすべてを、「こうしなければならない」という先入観なしに、自分の見える範囲においていないとその発想は出てこない。そして、私たちはいまやそれができるのだ。聖域なき改革!抜本的事業仕分け!大人になったんだなあ。あれはかっこよかった。
 ……このままいくと、私は生活コントロール欲のためにAmazon Primeを解約しそうな気がする。もっとよく考えて。無駄が生活を支えていることもあるし、いくら映像作品が苦手だからって、伸びしろを残しておかないといけないでしょう。

2026.2.21【自分内議会(紛糾編)】
 議会は紛糾した。与党が突然Amazon Primeの解約案を示してきたからである。
与党「dアニメストアと合わせて解約すれば月1260円の節約になり、その分書籍購入費を増やすことができます!いいでしょ、使ってないんだし」
野党「あまりにも先鋭的すぎます。絵描きたるもの、映像作品に触れる機会を持つべきです。それに、いまどきAmazon Primeもやってない現代人がいますか。しかも地方(イナカ)で!ていうかまだ『灰羽連盟』も『モノノ怪』も全部観てないのに!」
与党「毎日疲れてると、映像作品はなかなか観られないよね。結局、元気なときしか観ないし、元気なときならレンタルショップや映画館に行けるからそれでいいんですよ。それより、本を毎月もう1冊買えたほうが体質に合ってるし、幸せですよ」
 反論できん。
 おわった!現代人終了のお知らせーーー!

2026.2.20【ほしい本たくさん】
 マンガのことを考えていたからか、マンガ読みたい気分。しかし今月もまた、すでに書籍代を使い切ったあとであった。来月の分まで使い切ってないだけ、まだマシなほう。
 ユング派参考書に使っちゃったもんね。テクスト分析屋必修図書、M-L・v・フランツ『おとぎ話における影』が届きました。イエーイ、自分に科研費~!それもいいんだけど、大川ぶくぶ『ポプテピピック』が紙の本で欲しいよ。

2026.2.19【ポンコツ・ウソ発見器】
 じゃあ中学のとき、しばらく「兵頭北神」がいると思ってたのは??
 それはさすがに……ウソ発見器がポンコツですね。言い訳させてもらうならば、大塚英志のハチャメチャ伝奇小説『木島日記』では折口信夫が主人公だから、兵頭北神もモデルになった人くらいはいるはずだと、思いました!
※兵頭北神は大塚英志原作・森美夏画のマンガ『北神伝綺』の主人公。この作品は昭和初期を舞台とし柳田国男や竹久夢二がかなり本人らしい描写で登場する。兵頭は、柳田国男の弟子で折口信夫の後輩。柳田が追及をやめた「山人」研究を(←ここまでは本当)彼の指示で継いだ民俗学者である。

 というわけで、私が中学時代にいたのは、デレク・ハートフィールドと兵頭北神が存在する世界線でした。
 大変だな。

2026.2.18【村上春樹『風の歌を聴け』2】
 私も初読の際「デレク・ハートフィールド」は実在すると思った。『風の歌』終盤の火星水路のエピソードで「引用小説がおあつらえ向きすぎて妙だな」と思ったものの、決定的な確信には至らないまま、いったん忘れてしまった。その後、高校の夏期講習かなにかで『風の歌』の抜粋が取り上げられ、先生が「デレク・ハートフィールド」の話をした。おもしろネタとしてだ。そのとき大勢に混じって笑いながら、「あっ!やっぱりいないんだ」とひそかに動揺した。
 「デレク・ハートフィールド」に騙されるのはなぜなんだろう?関口巽や有栖川有栖のことはあたりまえのようにフィクションキャラクターとして受容してるのに?
 たとえばこれが「僕(小説家である)」の友人の小説家として出てくるのなら、ウソをすぐ見抜けたと思う。主要人物と近い関係でストーリーに出てくる場合、フィクションとして読ませることが多いから。
 しかし、ハートフィールドはすでに亡くなっており、「僕」の語りの中で引用されるだけだ。
 そうか、私は、引用はすべてフィクションとして進行する物語より上の審級からくると思ってたんだ。というか私に限らず小説の読み手にはそういう暗黙の了解がある。さらに、春樹はフローベルやトルストイの小説を作中に登場させ、ビーチ・ボーイズの歌詞の引用も行儀よくしている。その大勢に紛れ込む形で「ハートフィールド」が来るから、いる気がしてしまうんだなあ。

2026.2.17【村上春樹『風の歌を聴け』】
 久しぶりに読み返した。何回目かの「デレク・ハートフィールド」に笑う。これ自体を読み返すのは3回目くらいなのだけど、このネタは各所で遊ばれているので、もっと会っている気がする。
 おぼえてなかったが、「あとがきにかえて」でも村上春樹は「ハートフィールド」に感謝を述べたりしているのだ。中高生くらいでこれを読んだ人の中には騙された人もいそうだ。私もそう。

 ほらね。……春樹、責任重大だよ。
 でもこれ、一般的にはどこで気づくんだろう?
 「あとがき」のあと、奥付との間に、著作権法に基づく引用元表示ページがあって、ビーチ・ボーイズやエルヴィス・プレスリーには引用がなされてるのに、「デレク・ハートフィールド」にはない、というところで決定的なのだが。
 テクスト本体ではなく、そんなメタデータの話をしてどうする。そうじゃなくて。そうじゃなくて。

2026.2.16【選挙に疲れてしまった理由、その2】
 その2。そもそも選挙に見返りを求めてはいけなかった。政治家がみな「私を選ぶとこんな見返りがありますよ」と宣伝する(喧伝する)のはさておき、本来、選挙において私は消費者ではなく「有権者」のはずだ。今回、私は「消費者」マインドすぎたし、自分ではないほかのたくさんの人たちの事情が見えてなかったのではないか。
 「個人的には損もあるし得もあるでしょう、しかしどういう政策にすれば、最大限の人数が得をする社会になると思いますか?」という問いに参加するのが有権者なのだ。
 選挙を信じるならば、最大多数が幸福になる政策が選ばれたはずだ。私が選んだ政策よりも。そして、「強く豊かに」を支持した人たちもけして私の敵ではない(私の友人でもミリアムや正義ちゃんはここに入るはずだし、とにかくでも政権が安定しないと仕事が減ってしまうひともいる)。ここはひとつ、シチズンシップで納得しませんか。
 うん……いいよ。でも政策がウソだった場合、かたきを討たせていただくぞ(正しい市民の態度)。

2026.2.15【チョコレート合戦の決着】
 うわーっ、チョコレートだー!
 しかもパリのショコラティエの!これはフォションの紅茶を開けるべし。
 ミリアム(友人、仮名)ありがとう。しっかりビターで木苺の香りがする。

 私が贈った旭川の地元食材チョコレートも到着したらしく「いいところだね、北海道って」という感想がきた。「旅行をしている気分になれるはず」作戦は成功したようだ。
 今年のチョコレート合戦もめでたく引き分け。

2026.2.14【選挙に疲れてしまった理由、その1】

政策について情報を集め、投票所に足を運ぶというコストを払う以上、相応の見返りを期待するというのは、当事者に即してみるならば、それなりに合理的な行動であるともいえる。

川出良枝・谷口将紀編『政治学』p.19

 これは「(したがって)相応の見返りが期待できないとき、政治に関心のある市民も棄権することがある」という、投票行動論に基づいた「選挙に行かない」ことについての文章だ。
 しかしむしろ選挙に行ったいま、この文章がしみじみ納得できる。なぜこんなに私が疲れているのか。
 ひとつには単純だ。寒いなか頑張りすぎたのだ……。
 いつもの選挙なら、前々からわかっているのでのんびり情報を集め、自転車でふらふらと出かけていって投票ができた。
 だが今回は、短期ということもあって複数のメディアを毎日チェックし、週刊文春は寒い中わざわざローソンまで買いに行き(セイコーマートには売ってないし、月末で電子購読料金を払う気にもなれなかったから)、しかも吹雪のなかスリップしつつ投票に行かなければならなかった。それで、「これだけやったんだから見返りを得られるだろう」と無意識のうちに思ってしまったのだ。高いコストを払って死票を投じただけとわかったとき、崩れ落ちた。
 それはまあ、環境も悪いよね。

2026.2.13【描くならHI-TEC】
 SignoもSARASA CLIPもJuice upもあるのに、絵を描くひとがゲルインクボールペンを使うとしたら、もう何十年もPilotのHI-TECだ。これはそれなりに理由がある。たしかにインクはすぐ詰まるし、ニードルは心許ない。
 でも、こいつは止まってほしいところで、ちゃんと紙を噛んで止まるのだ。
 久しぶりにゲルインクボールペンで絵を描くことにした。最新のものがいいかなと思って「さらさら」や「なめらか」な書き味が売りの棚から、Juice upを選んで買ってきた。そうしたら、なめらかすぎて線が滑る。なめらかさが欠点になるなんて!線の「抜き」のとき、どのへんで力を抜いたらいいかわかりにくいし。
 練習すれば使いこなせるかもしれないけど、それだったらHI-TECを練習したい。授業中のらくがきで積み上げてきた(←こら!)HI-TECの技術を磨きたい。

 しかも多色ボールペンであるHI-TEC coletoの、かなりどうでもいい感じのニードルで描くのがしっくりくる。

2026.2.12【旭川のチョコレート】
 旭川にチョコレートを買いに出かけた。首都圏の友人に贈るため、狙うは北海道限定ものである。このチョコレート合戦、私の勝ち筋はもうここしかないんだ。頼むぞ旭川。
 旭川の老舗菓子舗がショコラティエの作る本格的なチョコレートを売り出したのは数年前からだ。地元の食材を積極的に使ったもので、デパートで見るような高級チョコレートに「(旭山動物園の隣にある)南果樹園のりんご」「江丹別地区で作ったブルーチーズ」など、なじみ深い地名のキャプションが付くのはおもしろい。安くはないので自分では手が出せずにいたけど、贈り物ならいいね。地元じゃない人がもらったら、旅行をしている気分になれるはずだ。
 ひとつ自分用に買って食べてみた。南果樹園のりんごフレーバー、小さなアップルパイのようでおいしい!
 そういえば、ある美しい夏の日、私は南果樹園に行ったことがある。そして「さくらんぼ狩りは先週まででした」と言われて帰ってきたのだった。
 地元なのでしょっぱい思い出もある。

2026.2.11【正直なところを言うと】
 正直なところを言うと、選挙に疲れてしまったのだ。新聞にもテレビにも文春にも疲れた。
 特にTwitterに疲れた。いや、Twitterが悪いのではない。極端な表現も演出された盛り上がりも決して現実の世界を変えはしないのに、それに多少なりとも期待も反発もしてしまう、自分に疲れた。
 選挙が終わって残ったものは、私が思っている社会と実際の様相はずいぶん違う、という感慨だけだ。
 現実を組み立て直さなければいけない。Twitterからはしばらくログアウト。
 アイロンをかけ、家を掃除し、街にバレンタインチョコレートを買いに行く。

 ここで「やれやれ」って言うのが村上春樹で、四国の山にこもって闘うのが大江健三郎なんだよね?

2026.2.10【欺瞞だよ】
 せっかくほうれん草を茹でたのに、グラタンに入れ忘れた。オーブンを閉めたとき気がついた。
 しょうがない。これは「別添え」!「別添え」なのです。そう思えばちょっと豪華ですオホホ。
 ……欺瞞だ。自分を騙している(佐々木倫子『動物のお医者さん』より)。

2026.2.9【シチューだよ】
 マカロニグラタンって、炒めて煮たところでもう「いいかな、焼かなくても。これで食べても」という気持ちになる。毎回。

2026.2.8【読書における好き嫌い2】
 というのも最近、これぞと思って読んだ本が自分にあまりヒットしなかった。特に小説が。「これは雰囲気からいってかなり好きなはず」と思っていたものが、立て続けに空振りだった。うーん。記憶をなくした人が謎の街で働く話とか、ボーイ・ミーツ・ガールで夢の中を冒険する話、ぜったい好きなはずなんだけどなー。つまり、現実と無意識の二層があって、構造がはっきりしているやつ。
 いっそ、いままで遠ざけてきた、徹底的に現実的な話とか、個人にスポットを当てた伝記的な語りを読んでみようか。それを支える土台として、なんとなく苦手にしてきた実存主義やその周辺に触れてみるのもいいかもしれない(たとえばフーコーやレヴィ=ストロースは自分の読むものだと思ってるけど、サルトルはnot for meだと思ってきた)。
 読書ノートを見返して考えた。おもしろい本にはだいたい偶然に出会う。「おもしろい」はいつも外から来るのだ。

2026.2.7【読書における好き嫌い1】
 10代のとき、自分は正しく「乱読」をしていると思っていた。
 その認識が20代になって変わった。きみは小説と人文書ばかり読んでいて、水文学や数学や料理書が楽しいことを知らないし、人文も、宗教学や政治学には触れてはいけないと思っているでしょう。大人になってからのほうが見える世界が広いもんね。
 しかし、今になって思うと、本当にそうだろうか?
 10代のとき、私の目の前に光文社古典新訳文庫が現れた。ぴかぴかで、岩波や新潮文庫とはまたちがう新鮮なオーラを漂わせていた。目を奪われた。たったそれだけのことで、私はペラペラの目録を蛍光ペンで塗りつぶして片っ端から古典新訳文庫を読んだのだ。ケストナー、シェイクスピア、ブッツァーティ、シュペルヴィエルはともかく、今だったらカントやフロイトは読んだだろうか?
 大人の私には「これは私が読むものではない」という思い込みが、ジャンルにではなく、作品や著作の方向性に対してかかっていて、動きを狭めている気がする。

2026.2.6【ホワイトアウト】
 かなり早めに出発したが、たちまち猛吹雪にのまれ、視界はなくなった。見事なホワイトアウトだ。先行車両のハザードランプだけを頼りに走行する。カーブは記憶をたどって曲がる。車線感覚はカンである。右折は……運しかない。
 道幅がわからないので、ときどき車が路肩の雪壁にこすれる。路面も悪くて全然止まれない。
 対向車だってそうだろう。なにかあれば、私は一瞬でぺしゃんこになってしまうんだろう。あっ、と思う暇もないだろうな。
 まあ、ホワイトアウトもこれが初めてではないので、「人間死ぬときは死ぬんだ」と思いながら、ぼんやりカーステレオを聴いていた。ここで死ぬのかあ。おっちょこちょいのわりには結構生かされたなあ。ところで最後に聴くアルバムが新居昭乃の“RGB”ってのは、そんなに悪くないね。

 時間ギリギリに次の職場にたどり着いたら、喝采を浴びた。まだなにも仕事してないのに。
 でも、そうか。生きてるからか。

2026.2.5【拝啓、この手紙】
 友人の誕生日に現着するように手紙を出した。よしよし。しかし、この時代にはちょっとキモいひとかもしれぬ。
 これをやると数日間、ふとしたときに「手紙はいまどこにいるかなー」と考えてしまう。
 郵趣をやっていたので少し知識がある。郵便は、大規模な仕分けレーンをもつ地域区分局が都道府県に1-3局あり、そこをハブとして、ハブ間でリレーをするように荷物の輸送を行う。
 この封筒が集配局から北北海道のハブである旭川東郵便局に行ってー、旭川空港から飛行機に乗るでしょ、いま新東京郵便局の巨大レーンの上かなあ。もう最寄りの集配局に輸送をはじめたかな……などと考えてしまうのだ。
 しばし封筒の気持ちになる。ここが新東京郵便局か。さすが日本中の郵便物の9割が通過するという超巨大局(想像でお送りしています)。フゥー!おれはおのぼりさんだぜ(想像でお送りしています)。

2026.2.4【カケアミ2】
 別の種類のカケアミだとこれも好きだ。「カケてないアミ」と呼んでいる、線が交差しないアミ。グラデーションは線の密度を変えて行う。OHTOのグラフィックライナーとか、ちょっと太めで勢いがつくペンがやりやすかった。
 ペン画の本に載っていたのを短いストロークで描きやすくアレンジしたものだけど、漫画ではあまり見かけない。このイラストを大学のチームメイトに見せたとき、「えっ、なにこれ、どうやったの?」と言われたのを覚えている。

 うん……どうやったんだろう。これ、今できないかもしれないな。くやしい。

2026.2.3【カケアミ】
 久しぶりに、つけペンとインクだけでモノクロイラストを描いた。
 カケアミ(※)をするだけで楽しい。ハガキ職人をしていたときより下手になってしまったけど、もうちょっと枚数描けば取り戻せるんじゃないか。復習復習。
 デジタルソフト上でクリックすればトーンが貼れてしまう今、クラシックな少女漫画風のカケアミはそれだけで描き手の個性になる時代がやってきた。やる気も出るというものだ。なにより、自分の絵柄に合っている気がして好きだ。

※カケアミ:ペン画で、格子状のハッチングを繰り返して陰影や濃色を表現するもの。「クラシックな少女漫画風のカケアミ」は、同一方向の線の間隔は変えずに、90度や45度の違う方向の線を重ねてグラデーションを表現する。

2026.2.2【ホットミルク】
 電子レンジであたためた牛乳と、ホーローのミルクパンで沸かした牛乳じゃ、なんでか味が違うんだ。とかいうとまためんどくさい奴なのだけど、今朝(寝坊して)鍋で沸かした朝食代わりのホットミルクは、しんとするほど熱くておいしかった。
 荒川宏『銀の匙 silver spoon』の何巻かで、経営の厳しさに離農を決めた酪農家が、最後にしぼりたての牛乳を鍋で沸かして飲むシーンがある。おいしそうだった。おいしいのがよくわかるから辛かった。

2026.2.1【吹雪の向こうのバレンタインフェア】
 札幌が難攻不落の雪要塞になってしまった。入れも出られもしない。大丸のバレンタインフェアに行くのは断念した。
 今年はこの状態でミリアム(友人、首都圏在住)と勝負しなければならないのか。なんてこった。
 チョコレート合戦である。イチオシのチョコレートを贈りあって、美味しかった方が勝ちなのである。
 あやうし。知恵を絞るしかない。

タイトルとURLをコピーしました