消しゴムはんこを彫ります。
ゴム版はSEEDの「ほるナビ」です。大きな文房具店に行くと、はがき大サイズが700円くらいで売っています。表層だけに色がついていて、彫ると白いところが見えるのでわかりやすい。
線画を描いて、濃い鉛筆(Bや2B)でトレーシングペーパーに写しとります。それを裏向きにしてトレーサーでこすり、ゴム版に転写します。トレーサーがなければ爪でこすってもできます。

彫刻刀とデザインナイフで地道に彫っていきます。彫りぬいて白くなるところよりも、単線を残すところの方が難しいです。途中、何度か押してみて、彫り残しや線のニュアンスを直していきます。
(しかし、だれですかこんなめんどくさい線画を描いたのは???どうして白い一角獣をシルエットにせずわざわざ単線で表現しようなんて思ったんだ。くじけそうだ。)

上手に押せたものをスキャンして、描画ソフトで文字を配置します。輸入盤みたいにしたい。

完成。
J.S.バッハの“チェンバロ協奏曲”のCDジャケットができました。ケースに入れてみます。

音楽を聴いて、そのCDジャケットを作る遊びを時々やります。音の感じそのものから連想するものもあれば、作曲や演奏の背景から、物語の絵を描くようにして思い浮かぶこともあります。
今回はどちらかと言えば前者です。
トレヴァー・ピノックが指揮する“チェンバロ協奏曲”に出会ったとき、出だしで「この曲、こんなにあたりがやわらかかったっけ?」と思ったのです。とくに第1番第3楽章の出だしなんかは、もっと鋭角で鮮やかで……怖かった記憶があったのですけど。音色のせいだけではなく、これは音程じたいも少しずつ低い。古楽器を、その時代の音程に合わせているんですね。まるで絢爛なタペストリーが年月を経て色褪せて、ますます美しさを得たような演奏だ、と思ったのがこれを作るきっかけでした。
(一角獣は、豪華なタペストリーといえば「貴婦人と一角獣」でしょうという連想でした。)
以下は余談です。
ヒトの頭の、こういうことができるいいかげんなところが私は好きです。
聴覚は聴覚データだけで独立して処理すれば効率がいいだろうに、どうして私たちは「やわらかい」音とか、「明るい」声とか、触覚や視覚を同時に働かせるような表現をするんでしょう。あまつさえ曲を聴いてCDジャケットを作る個体もおり……。聴覚と触覚の大部分、それと視覚情報の一部は同じ側頭葉の処理なので、区割りがルーズなのか?とすぐ思うんですが、実はいいかげんじゃないのかも。意図して、情報を複数のやり方で処理して、もっとたくさんの情報にして残そうとしている。いったい何のために?不思議です。何か理由があるんだろうけど、とりあえず、こうやって遊ぶと楽しい。
【関連記事】
過去の自家用CDジャケットです。
◆ラフマニノフの“徹夜祷”のジャケット。
◆バッハのトッカータ集のジャケット。
◆中世の歌集、“モンセラートの朱い本”のジャケット。
◆吉松隆の“プレイアデス舞曲集”のジャケット。
◆バッハの“ゴールドベルク変奏曲”のジャケット。








コメント
素敵なものを拝見いたしました、ありがとうございます。貴婦人と一角獣もそうですが、中世修道院で製作する写本の挿絵のような雰囲気ですね。
ご自身の手で何かを生み出す豊かな時間を今後もどうか大切になさっていただきたいです。
木版画チャレンジが公開される日を楽しみにお待ち申しあげております✨
>>1
これをこうしてな……と思案し、手を動かす時間は本当に楽しいです。こんなちっぽけな版画でも、出来上がると、世界に対してなにか仕事をしたような気がします。その瞬間だけは修道士かもしれません。ちょっと元気が出ました。コメントありがとうございます。版木買います。いや、拾ってきます。