『狩人の悪夢』(有栖川有栖)―いつか夢の果てるまで

 推理小説家の有栖川有栖は、悪夢をモチーフとする人気ホラー小説家の白布施と知り合いになり、山奥にある彼の自宅に招待された。しかし、一夜明けて近隣の住宅で不審な死体が発見される。その首は矢で横ざまに貫かれていた。

 犯罪学者の火村英生と、著者と同名の小説家、有栖川有栖(アリス)が活躍する推理小説シリーズの長編である。第1作が1992年に刊行されてから今も続く息の長いシリーズだ。
 狩人の悪夢、というタイトルを聞いたとき、このシリーズの長年の読者ほど緊張したと思う。「あの」狩人の「あの」悪夢の話ではないかと。火村英生の見る悪夢の中に何があるのか、今度こそ明かされるのではないか。
 その予想ははずれている。読み手の私は、実は少しほっとした。
 しかし、殺人を犯しながら罪を認めず逃げる、ということが「悪夢」になぞらえて表現されるこの小説を読んで、どうしても火村英生本人のことが頭から離れない。
 私はどうして、殺人者を追う側の火村が「悪夢」の中にいると感じるのだろう?

 火村英生は、事件現場に出て犯人を追い詰める犯罪学者として描かれる。彼はその動機を「人を殺したいと思ったことがあるから」と語る。殺したいと思った自分を許さないのと同じく、人を殺しておいてその罪に向き合わない輩を許さない。勇敢だ。
 その勇敢さの裏で、彼はいつからか同じ夢にうなされている。人を殺した自分の手が真っ赤に染まる夢を見て、飛び起きる。

 初めてこのシリーズを読んだときに思った。どうしてこんなにいい人が苦しまなきゃならないんだろう。もっと違う人生があったはずじゃないか。過去を忘れられるような道も選べたのに。
 先生、いったいどうして、そんなに困難な道を。

夜の森をさまよう火村

 では、ここで考えてみる。火村が犯罪学者にならなかった場合だ。
 かつて彼に大きな事件が訪れ、悲しい結果を残したが、それを「乗り越えて」幸せになろうと努力し、今ではまったく犯罪と関係のない毎日を送っている火村英生。彼にだって好きなものがあったはずだ。好きなことややりたいことで生き方を選ぶこともできたはず。そのうち、人を殺したいと思った過去は乗り越えられ、忘れられる。悪夢から「覚める」。

 ―それは乗り越えるって言うんだろうか。“抑圧”じゃないだろうか。

 見たくないものを見ないように抑圧するのは心の自然な反応である。そのうち解決するときもある。だが、そうでない場合が問題だ。私たちは少しずつ、ついには決定的に、見ないようにしてきたものに背後から倒される。つらい気持ちを押し込めて暴力に耐えてきた人が、自身も望まないまま、今度は人に暴力を振るってしまうように。
 だからこれは、火村が選んだ特殊な選択肢ではない。むしろ王道だ。恐れたものを見据えて真っ向から切り込んでいくこと。真実と対峙するためには、夢を安易に解釈する声も、外から差し伸べられる手も全部振り切って、「悪夢」を見続けることが必要だ。夢から覚めてはいけない。
 戦うのだ。夢を見ていると認識しつづけながら、明晰さをもって

 (一方、この作品の犯人は自分の悪夢―のような所業を直視することができない。アリバイを工作し、他人を巻き込み、使える手立てはすべて使って、自らの残酷さから逃げ続ける。早く夢から「覚めて」平穏な現実に戻るんだ、きっとそう思っている。)

 ただし、「悪夢」に真っ向から挑んでいくこの方法には大きな困難がある。責任は全部、戦うと決めた自分に降りかかってくる。もし自分の手で犯人をとり逃してしまったら、それはただ逃すだけではない。人を殺しておいて逃げおおせることができる世界に膝を屈するという意味になる。自ら立ち向かった分受けるダメージは大きい。さらに、もしそうなった場合、そんな世界でまた踏みとどまることができるだろうか。気がついたら今度こそ両手が真っ赤に染まっているのではないか。

 シリーズを通して、火村が自分の悪夢の内容や、それに関係するらしい過去をはっきり語ることはない。親友であるアリスにさえない。おそらくそれはもう、語ったところでどうにかなる段階を超えているからだ。引き返せない。戦うことをやめられない。

「ここ半年ほど、フィールドに立つ機会が少なかった。そうしたら、悪い夢を見ることが減るどころか増えたよ。因果関係があるのかないのか判らないけれどな」

有栖川有栖著『狩人の悪夢』文庫版p.287より

 それでも、語られないことを、火村の戦いの勇敢さの下に隠された困難を、ずっと想像してきた人がいる。 
 アリスは、このシリーズが始まったとき、推理の助手や視点の役割が大きかったように思う。それが次第に、火村と違う考え、違うやり方で事件に関わり、火村を支えていくようになる。

 この作品の最後に、アリスから火村へ、思わぬ方向からの提案がなされる。それは一見ささやかだが、火村が「悪夢」を見続けることを認め、彼が明晰さを失わないように力を貸すことにした、考え抜かれた助力―ではなく、協力の手だ。
 「悪夢」から「覚まそう」とするのではなく、共に戦うことにしたのだ。
 「悪夢」が果てて、夢見る前よりももっと深い、覚醒にたどりつくまで。 

夜の森のふくろうとアリス

 いつか、誰も見たことがないような、本当の夜明けが来る。

追記)数年前、大澤真幸の『夢よりも深い覚醒へ』を読んでいて(変わったタイトルですが、生まれていない世代に関わる決定を現在の社会がすることはいかにして可能か、という問題を扱った社会学の本です)、その序にある「真実を覚知するためには、彼は覚醒しなくてはならないが、それは通常の覚醒―「眠りから覚める」という意味での現実への回帰―とは反対方向への覚醒でなくてはならない。」(同書p.9より)という文章に火村先生のことを思い出したのが、この記事を書くきっかけでした。その時はまだ、たぶん彼はそういうことをやってるんだろうなあ、とぼんやり思うくらいでしたが。
 最近読み返して、これが大澤真幸の師である見田宗介の言葉だとわかり、真木悠介(見田宗介の筆名)の『気流の鳴る音』で説明される、「見えている現実の世界と見えない想像の世界の二つをともに相対化する<明晰さ>」なら、たしかに「夢よりも深い覚醒」が可能だろう、と私の中では納得がいったのです。目がくらむような険しい道だけど、先生、私は確かにこの道で合ってると思う。それから、悪夢が果てるまで見続けることにした、すべての人へ。

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コメント

  1. ナツ より:

    大好きな作品が取り上げられていて、嬉しいです。小説も本のデザインも大好きなのです。私は近年、有栖川作品にはまり、一気に既刊を読んだのですが、リアルタイムに追っかけていらした方々は、たしかに緊張するタイトルだったでしょうね。
    今回のイラストは、青の色彩が美しく、哀しみを湛えていると同時に強さも感じます。このシリーズを順に読んでいると、火村とアリスの関係性の変化が感じられて、そこも読み応えがありますね。
    これからも、二人がどんな犯罪と向き合うのか見届けたいと思います。

  2. 石井 より:

    >>1
    この本についてはずっと記事を書きたかったのですが、私の手には余る気がして実行できずにいたのです。今回、数冊別の本の力を借りて出来上がっていてちょっとずるい(かも)。でも、喜んでいただける方がいてよかったです。
    イラストは満月のつもりでしたが、今思うと、明け方の青のような気もします。表情がとにかく難しかったです。

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