『ギリシア神話』(石井桃子編)―いちばん低い音の弦

 ああ、この表紙だ。この、テラコッタ色の表紙。なつかしい。
 これは、私が初めて「ギリシア神話」にふれた本です。

 なぜ、“ももたろう”や“シンデレラ”を差し置いて、『ギリシア神話』がいきなり子ども部屋の本棚に用意されていたのか不思議ですが、たぶん両親のどちらかが好きだったのでしょう。のちに、表紙が取れてボロボロのブルフィンチ版『ギリシア・ローマ神話』が居間の本棚で発見されました。漢字が読めるようになってからは、そちらもむさぼるように読みました。

 ちなみにこの岩波のブルフィンチ版は、インド神話、エジプト神話、北欧神話に、ちょっとだけケルト伝説もついて、なんと便利な索引付き。超が付くほどお買い得です。今から買うならこれです。

 話が逸れました。ともかく最初はテラコッタ色の石井桃子編『ギリシア神話』だったのです。
 これがたった一冊で、ひとりの子どもを「本読む人」にしてしまった。

 はじめはこれを、ほかの冒険ファンタジー物語と同じようにして楽しみました。
 賢い王子が竜を討伐してお姫様を救う話。浮気な神様が雨になって美しい娘の部屋を訪れる話。予言に逆らえず息子に殺される王さまの話。空飛ぶ金の羊にまたがって海を越える話。どれもみんな面白かった。
 やさしく、しかし言葉の喚起するイメージを最大限に使った、力強い語り(であることを意識したのは、大人になって読み返したときです)。

姫の顔色は、波が姫の足にのこしていった白いあわのように、まっ白でした。

石井桃子編『ギリシア神話』p.85より

 これがただの一冊の物語でないことは、しだいに気づきました。
 というのは、他の本が(主に外国の物語が)、「ギリシア神話」の内容にふれたり、時には同じテーマを繰り返したりするからです。
 本が、別の本の話をする。
 そのときに、読めば読むほど本が読めるようになる、ということが感覚的にわかりました。

 「教養」という大人の言葉は、この現象を表すにはあまりに冷え切っているように思えました。
 私は、自分に弦を張るように、古い本を読み始めました。弦が増えれば和音を鳴らせます。新しい本を読んでも響きが違う。それが単純に楽しい。自分が楽器になったみたい!

 「ギリシア神話」の3度上に「聖書」の弦。5度上に「シェイクスピア」の弦。オクターヴ上には「フロイト・ユング思想」の弦(ついでにこのもう1オクターヴ上に「河合隼雄と現代心理学」の弦)。

 知識としては持っていても、それを自分の弦にして鳴らせるほどには定着しなかったものもあります。弦の種類は好みやその人の背景にもよる。自分と違う並びの弦を揃えた友人と、例えば同じ小説の話をしても、見えている景色がまったく違うことがあって面白い。自分が単音でしか鳴らせなかったものを、この人は和音で響かせるんだなあ、と。

 もちろん、本の読み方は人それぞれで、風が吹き抜けていく笛のように鋭く直感的に作品を受け止める人もいます。打楽器のように……打楽器をこのたとえに使うの想像力の限界なんですけど、まあ、そんなような人もどこかにいるはずだ。楽しそうだよね。
 ただ、私を弦楽器の本読みにしたのは、『ギリシア神話』でした。

 これが、私の持ついちばん古い、いちばん低い音の弦です。

 おまけ。
 当時の私の記憶では、この本の表紙や挿絵は「ギリシアの古い“つぼ”や、“へきが”の絵だった」ことになっていました。
 ……ちがいました(いいかげんな記憶だ)。
 これは、富山妙子さんという方が、この本のために描いたものです。ただ、大人の目で見直してみると、人物を黒いシルエットで表す黒像式のような表現や、横向きの人物、横長に展開する構図が、やっぱりギリシア陶器を思わせます。挿絵が、ちゃんとギリシアを語っている。

 いいなあ、と思って私もやってみました。
 彫ってみた。

スフィンクスの消しゴム版画

 翼の生えたうつくしい“謎掛け”―スフィンクス。昔から好き。

コメント

  1. 狗神 より:

    いつも、読み手、として或る意味お任せにさせて頂いている身としては些か心苦しいながら、更新を楽しみにお待ちしていました。
    私がまだ出逢えていない物語や、本棚のかなり上段(もしくは下段)に置かれた回想の物語。彼等・彼女等についての取説(感想文、エッセイ、推薦状、など言い表せば様々)を、いつもながら非常に小気味良い言葉綴りで語っていらっしゃいますね。
    14、5歳の頃(遠い目)、私は当時の対人環境からか、ケルト神話と聖書の二重奏にいきなり触れる事になり(ここだけ抜粋すると怪しくなりますが)、以降、やたり高価な専門書などを読みあさる時期を経験しました。
    1つの本(や趣味)との出会いが、多岐に渡る分野の学問や知識欲へと枝葉を繁らせ、また、非常に多くの友や敬愛する師との縁を紡いでくれました。
    同じ物語について語り合う場においても、見つめている景色や情景の俯瞰やグラデーションに当然、個々の差異はありながら、それら全てをひっくるめて愛おしいと感じる瞬間を、私は何よりも大切にしたいと考えています。
    だからこそ、本は、素晴らしい。

  2. 石井 より:

    >>1 コメントを拝読し、本当に本が好きな方に、この記事が届いたことをうれしく思いました。
     私はといえば、14、5歳の頃、大変不遜な子どもだったので、「叩けばすべての扉が開かれる」とばかりに手当たり次第に読んでいたものでした。それでも、乱読された本は、私の理解が追いつくのを待っていてくれました。それらが、時を経て枝葉を繁らせていたことに気づいたのは、恥ずかしながら、ほんの最近のことです。
     いつも後から気づくのです。
    (だから、ここを読んでいる年若い読み手の人は、どうかがっかりしないでほしい。「叩けばすべての扉が開かれる」は、時間差はあれど、結局本当です)

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