『聲』(川田順造)―声のブロードキャスト

 タイトルは「声」の旧字体です。表示されないかもしれないので書いておきます。

 文化人類学者の川田順造が、主に専門であるアフリカの例を引きながら、人の声、肉声のもつ力について幅広く語る。呼ぶ、歌う、奏する、ほめる、あてこする、真似るなど、個人から個人への伝達だけではない、声によるコミュニケーションの奥深さを見つめなおす。

 声にまつわる様々な文化が、本っ当に幅広く紹介されていて、著者の頭のよさにめまいがする。博覧強記とはこのことだ(※追記―この記事を書いたとき気づいていなかった。のちにレヴィ=ストロース『悲しき熱帯』の訳者だと知る。そりゃ博覧強記だよ)。
 そもそも私がこの本を手に取ったのは、「聞き做し」について調べていたためでした。聞き做しというとあれ、たとえばフクロウの鳴き声が「五郎助奉公」とか「糊付け干せ」と聞こえるようなの。それが日本全国どころか世界中に存在することを偶然知って、資料にあたっている最中でした。

 おもしろい調べ物をしていると別のおもしろい調べ物が寄ってくるんだな。仕事じゃなくてよかった。

 「聞き做し」の章(“ 第7章 音の共感覚 ”)のほかにも、名前の章がおもしろかった。

「キジバトの卵さん、おいで、一緒に歩きましょう。わたしたちは神さまの子なのよ。」
「ひとりっきりで杵を搗いているのね。同じかあさんのきょうだいがいないと、つらいことが多いよね。」

川田順造著『聲』単行本p.120より

 これ、名前です。「キジバトの卵さん~」から「~なのよ」までが。2行目も同様。
 著者の研究していたアフリカのモシ族社会では、親しい二人の人間が同じ名を共有して呼び合うことで、その名のメッセージを第三者に聞かせるという風習がありました。

 二人の少女が互いにつけた名前です。名前を新しく付け直すことによって、個人をつくり直し、それを周りにも知らしめるわけです。名前を呼ばれる方と、呼ぶ方との共犯関係でつくる、既存の社会へのささやかな抵抗。この子たちの母親やきょうだいの耳にも、名前を呼ぶ声は飛び込んでいくだろう。
 そう考えると、声による伝達は、暴力的とさえ言えるブロードキャストだ。耳は閉じられないからね。

 川田順造は、声が受け手をもって完成することをよくよく知っていた。だから“耳”の入ったこの旧字をタイトルに使ったんじゃないか。今、この記事を書いていて気づきました。

 おまけ。

聞こえない声を聴く少年、謎の手紙を受け取る姉、何か企んでる謎の少年

 「聞き做し」を調べていたころの絵です。
 鳥や草木の音を意味として解釈する能力に優れた者は、“キキミミ” と呼ばれ、中世の村落で重要な呪術的役割を担ったらしい。
 という話にインスパイアされて描いたもの。突然聞き做しの能力に目覚めた少年と、それを狙う者たちから彼を守ろうとする姉の話、みたいなのを想像して描きました。
 ……実は、スケッチブックにばらばらに描いていた少年少女たちを組んで、それっぽいタイトルを入れたらこうなっちゃったあ、という作品であります。ずいぶん前なので手が粗いんですが、この勢いが再現しようにもできないので、直せないままあげます。

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