『Omegaの視界』(閂夜明/天村血花)―闇の生物学

 すべての生物は他の生物や環境との関わりを通じて、生存をはかる。
 さて、二つの生物種が同じ生態的地位、限られた同じ資源、同じ空間を占有するとき、この二つの種は仲良く共存するだろうか。
 まさか。ゾウリムシとヒメゾウリムシは同じ水槽で共存しない。ネアンデルタール人とホモ・サピエンスも共存しなかった。 
 一方の種が他方より少しでも優位であれば、資源を取り合った結果、一方が他方を絶滅させるのだ。これを競争排除という。

 しかしまた一方で、すべての生物は「あなただけは生き残るように」プログラムされている。
 学習する時間があれば。世代を重ねて変化を待てば。あるいは、降ってわいた「予測不可能な事象」を味方につけることができれば、その時は共存が可能、いや、形勢の逆転だってありえるだろう。

 この世界のなんという不確定さ。

三日月をバックに宮さん

 『Omegaの視界』はビジュアルノベルゲームである。
 つまり、テキストにイラストがついたものを端末上で紙芝居のようにめくるゲームだ。実感としては電子書籍に近い。プレイヤーが行うのはほぼページをめくることだけだからだ。
 それって面白いの?と言われそうだが、面白いんである。
 私はヴィデオゲームの類をこれまでほとんど触ったことがなかったので、最初はページをめくるだけでもおっかなびっくりなレベルだったが、半年かけてゆっくり読みながら、しだいにこの物語に釣り込まれていった。

 きっかけは生物学だ。
 東西の神話や伝説、民俗学や文学などが台詞のいたるところに引用され伝奇小説感もりもりの本作だが、さらに生物学の話をするのである。消化・異化や生殖や進化や遺伝や免疫の話を、こちらが引き込まれる熱心さで登場人物たちが語る。私は生物学が好きなので個人的には大歓迎だが、それにしても、伝奇小説で生物学?
 ミスマッチではない。むしろ、これがこの作品の核だ。

 閂夜明/天村血花は、生物が生きようとするこの世界の残酷さと不思議さを物語に入れ込み、精巧な箱庭を作った。これは世界のミニチュアであろうとする物語だ。そういう物語が、面白くないはずがない。
 そしてこの箱庭のダークファンタジーは、生物学の思考回路を通じて現実に投影される。

 飯窪真言(いいくぼ まこと)は、幼い頃を過ごした北国の小さな街へ向かった。街で密かに行われるという祭りを調査するためである。勤め先の古書肆の店長である宮岡門王水(みやおか かどみ)は、祭りを行う三春家が持つ門外不出の資料を探っているらしい。真言は門王水の命を受けて、三春一族の個性豊かな少女たちと絆を深めながら調査を進める。しかし、次第に彼の身体に変調が現れていく。いるはずのないものが視える。まるでのような、もっと恐ろしいものが。

 読み進めていくと、少女たちはそれぞれに思惑をもって真言を巻き込んでいることがわかってくる。どうやら大きく二つの群に分かれて戦っているらしい。物語の全貌が見えてくると、頭の中に盤面が広がるようでぞくぞくする。しかもこの戦いは、何世代にもわたって続けられているようなのだ。
 《猫》を継承した魔女たちは、もはや《猫》を使役しているのか《猫》に操られているのかわからない。生物が自分の生命を維持しようとする「狩り」の必死さをもって、同時に人間として「遊戯」を楽しむように戦う。

 とはいえ、今回の物語が始まった時点で、一方の群はすでにボロボロの状態である。見るからに負けが込んでいる。同情してしまう。圧倒的な力の差があるんだから、見逃してくれればいいのに―ということを読みながらふと考えて、先ほどの「競争排除」を連想したのだった。ムリだ。いきものだもの。勝者は資源を総取りするものだ。
 時間がない、仲間を増やす余力もない、追い詰められた《猫》と魔女たちに残された手段はひとつ、「予測不可能な事象を味方につける」ことだった。そうして、物語は思わぬ方向に転がっていく。
 その先の展開についてはたくさんの仕掛けや企みが用意されているので、ここでは詳しく書かないことにする。

 戦いのただなかで、これはゲーム、遊戯なんだから、と繰り返し語る人物がいる。
 何度もそう言うので、聞いている(読んでいる)うちに、私の中では意味が裏返ってしまう。じゃあ逆に、この自然界の生物も壮大な遊戯の中にいるんじゃないだろうか。
 今、この地上で生物が、無機物からエネルギーを作り出し、外敵と戦い、自己増殖して繫栄し、さらには環境に適応して進化するのも。死の瞬間まで細胞の一つ一つが呼吸し、代謝し、エネルギーを取り出そうとし続けるのも、全部、数十億年かけて仕組まれた遊戯に参加させられているだけじゃないのか。

 勝っても負けても、生物であることからは自由になれない。
 戦いに翻弄される哀れな魔女たちの姿は、生物として生存するために策を講じ続けなければいけない私たちの姿のようだ。

『アナタだけは必ず勝ち残れ。何をおいてでも』
競技の出場者すべてに、残酷にして矛盾なる祝福をあたえたもうたのだよ。

閂夜明/天村血花作『Omegaの視界』“神使八乃舞―或いはシキのナガメ―”より

 けれど、それだけでは物語は終わらない。
 冒頭からは予想もつかない大活躍(暗躍?)をする一部の人物たちがいる。その、生きるしたたかさには目を見張る。そうそうおとなしくやられたりはしない。
 たとえ私たちを取り巻く環境がどんなに過酷になっても、数えきれないほどの未知の能力を秘め、予測不可能な事象さえ味方にする、数十億年かけて鍛え上げられてきた生物というこのシステムを、まだ信頼していいと思うのだ。
 そう思えるとき、血まみれの盤面には光が差し、私たちは生物でありながら自由になる。

ミハルを従えた冬夏

(おまけ。途中まで読んだ段階で「冬夏ちゃん描きたいなー、髪の短いバージョン可愛いなー」と軽率に描いたものの、読み終わってからよく考えると、髪の短い彼女がミハルを遣うシーンはない。しまった……。ええと……、とにかく幸せになってくれ冬夏ちゃん。)

参考図書:『キャンベル生物学 原著11版』(池内昌彦ほか監訳、2018年、丸善出版)p.1366-1368

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