私は夜の好きな子どもだったし、今でも夜の好きな大人だ。
静まりかえった道が青白い街灯に照らされているのや、知らない家の灯がぽつんと点いているのを見るのが好きだ。貨物列車が太古の竜のように厳粛にカーブを曲がり消えていくのも、よく見に行った。そしてこの記事も、夜更けに除雪車の唸る遠い音を聞きながら書いている。
夜には夜の論理があって、昼のそれとは違う気がする。それが夜の魅力だ。
その感覚を、見事に表現した人がいる。
イラストレーターであるフジモトマサルの画文集。エッセイと短い漫画が入っている。
この本を読む前から、本の挿絵などでフジモト氏のイラストを見るたびに、きっと夜の好きな人なんだろうと思っていた。この人の描く、月に照らされた木々や、シルエットになった鉄塔と送電線、冷たい灯りの街灯。決して写実的な絵柄ではないのに、「ああ、本当にこの通りだ」と思わせる。好きで、観察してないと描けない。
読み始めると、予想は確信に変わった。本文もイラストも、夜の不思議な論理に満ちていた。
夢から覚めた後に、夢の内容を思い返してみると、「どうしてそこでそういう判断になっちゃったかなあ、でも夢の中では納得してたんだよなあ」と思うことがある。そのおかしさを、そのまま文章に持ってきた感じなのだ。
さて、私は、この本の影響で古いラジオを枕元に置くことに憧れた。
しかも、冒頭に登場する、電源が入っていないのに突然夜中に不思議な音楽を流し始めるような。というか、そんな空想をさせてくれる雰囲気のあるラジオがほしい。
憧れて、学生時代に、本当に買ってしまった。

骨董屋の老店主が「動かないと思うんだけど、いちおう」と電源を入れてくれたとき、予想を裏切って鳴りだしたこの真空管ラジオが、私に最初に聞かせてくれた曲を覚えている。
ノイズの向こうから聞こえてきたそれは、坂本九の “上を向いて歩こう” だった。
もちろん2010年代の話だ。懐メロコーナーでもやってたのかな。
しかしまるで、ラジオが意志を持ってその曲を選んだようだった。自分が生きてきた時代を伝えるために。これはもう、いかに貧乏学生といっても、誠意をもってお迎えするしかなかった。自転車の荷台に積んで帰った。
それからずっと、その真空管のラジオは私の枕元にある。たまにつけるとポッと明かりが灯って、ざわざわした囁きの向こうに、『終電車ならとっくに行ってしまった』の夜が出現する。この夜の中では、きっと、ラジオは自分で曲を選ぶ。




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