表紙からすでに、「これはなに?」という感じがする。
給水塔の写真集です。
給水塔。
鉄塔と並んで、人の認識のあわいにある建造物のひとつじゃないでしょうか。同じ風景を毎日眺めていても、給水塔の存在に気づく人と気づかない人がいる。見慣れてないと「これはなに?」と思う。給水塔による配水システム自体が時代遅れになって、数も減ってきているし。
それでも、この本をめくって「何もないところに脈絡なくポツンと現れる塔」の映像を何度も見ていると、知らず知らずのうちに給水塔を見る力がついて、給水塔はようやく認識の中に入ってきます。「近所のあれ、もしかして給水塔かな?」といった具合に。私はそうでした。
給水塔が見えるようになってくると、面白い形だったり、ペイントがされていたりして、はまります。給水塔の写真集は意外と出版されているし、愛好家も存在してアクティブに活動している。いや、意外と言ったら給水塔に失礼か。
さて、給水塔の写真集をひととおり見て、給水塔に関する本を読み、給水塔愛好家の給水塔文化に触れ、一周周ってこの『給水塔 Beyond The Water Tower』に戻ってくると、驚きます。
「これはなに?」という感覚が消えていないからです。
日本中の給水塔を鑑賞して、もちろん給水塔の役割も構造も理解した後のはずなのに、写真を見た瞬間の0.001秒くらいは「これはなに?」と感じる。比留間幹の撮る給水塔は相変わらず、見る者に問う。「これはなに?」。遺跡、ラプンツェルの塔、実験施設、宇宙からの飛来物、夢で見た謎の光景かも。
「これはいつ?」。私が子どもの頃、いやもっと前、それともずっと未来かも。
この本の中程に、私の好きな写真があります。
雪の積もった団地に、白い給水塔がすっと建っている風景。降りしきる雪のなか、黒い服の老婆が黒い傘をついて、団地の中庭を通り過ぎる。
「失われゆく日本の風景」とか「人々のささやかな暮らし」といったノスタルジックな撮り方もできる題材だけれど、比留間幹の目線はそれを飛び越えてしまっている。「これはなに?」……ずっと未来、世界の終りの風景なんじゃない?この塔はそのときの文明の……。
だからこれは「給水塔の写真集」ではないのです。
おまけ。手元のスクラップブックより。

このページのテーマは「夢の中のような風景」です。左上の写真は給水塔かと思ったのですが、調べてみたら、札幌旧西岡水源地の「取水塔」でした。おしい。




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