十月の末にハロウィンが終わると、早くも街は十二月の準備を始める。クリスマスに向けてである。
毎年、ちょっとせわしなさすぎるんじゃないか、十一月はどこへ行った、と思いながら、それでも、きらびやかな缶に詰められたお菓子やクリスマスフレーバーの紅茶なんかを見かけると、うう、つい買ってしまう。
だけど十一月だ。10+1月でも12-1月でもないはずだ。本来は。
急かされる必要はない。ここからなにかを始めたっていい。
十一月から世界が開けていく本がある。
十一月のはじめ、爽子はひとり、転勤についていかないことにした。決めたのだ。中学の2学期の残りを、偶然見つけた「十一月荘」というすてきな名前の下宿で過ごすことに。十一月荘の年齢も性格も様々な女性たちに影響を受けながら、まっさらなノートに書き始めた物語が、彼女を変えていく。
さて、親元を離れて下宿生活をすることをひとりで決めた中学生、というと、ずいぶんはっきりした子と思われるかもしれない。
しかし、冒頭で爽子が、双眼鏡をのぞいていて見つけた素敵な家(これが「十一月荘」)にひとりで行ってみる場面はこれだ。
行ってみたい!あの家を見に!その思いは、今日にはいっそう高まって、爽子は、はやる気持ちを抑えられないままに、自転車に飛びのったのだった。
高楼方子著『十一月の扉』青い鳥文庫版p. 4より
でも、ペダルをこぎながら、爽子はわざとに思う。
(まあね、行ってみたら、どうってことのないただの家よ、きっと!遠くから見た時は、あんなにすてきだったのにってことになるんだわ……。)
そ、そうかい?そうなの??本開いて4ページ目だけど、これほんとに話始まる???
そうなのだ。ふだんの爽子は、やろうと思ったことに自分でブレーキをかけてしまうような子だ。さらに、続く彼女のモノローグがこれだ。
(もし、かりにすてきだったとしても、意地悪そうな金ピカのおばさんが出てくるかもしれないし……子供を叱りとばす声が聞こえるかもしれないし……。)
同p.4より
期待が裏切られることを恐れるあまりにふくらませる楽しくない想像は、次から次へと湧き続け、しまいに爽子は、溜め息とともに、ほんとうに自転車を止めてしまった。
ほんとに止めたー!しかも……そこまで言うか!!
爽子ちゃん、きみ、年にしては慎重というか疑い深いというか……へそ曲がりって言われない?
その彼女が、えいやっ、と飛び出すように、初めてのことに挑戦する。
目に映るものが次々に、自分の中で意味を持って輝きだす、きらめく十一月の始まりだ。

鍵を握るのは物語だ。
爽子は十一月荘の小さな女の子にせがまれて、ぬいぐるみのネズミが出てくる物語を、新しいノートに書き始めた。「ドードー森に住む、ネズミのロビンソンは、鼻歌を歌いながら、森の小道を歩いていました。水車小屋のカラスだんなをたずねて、おいしいパンケーキをごちそうになろうと考えていたのです。」(p.47より)
ところが、爽子が何気なく書いたパンケーキの得意な「水車小屋のカラスだんな」は彼女の近くにいた。ノートを買った文房具屋の店主が十一月荘のあるじの知り合いで、お得意の手作りパンケーキが届けられる。おまけに、別のぬいぐるみから思いついて登場させた「カラスだんなの妹」も実際にいて、うわさ話の大好きなその人は、隣に住む奥さんだとわかる。
ふつうは、逆だ。
現実に見聞きしたことを元にして物語が生まれてくるはずだが、ここでは世界の側が、爽子の書いた物語に沿って引き寄せられる。爽子もそれに驚きながら、十一月荘で出会った個性的な人たちや出来事をモデルに、さらに作品の<世界>をふくらませる(十一月荘には「意地悪そうな金ピカのおばさん」はいなかった。皆それぞれに自分の芯を持っている大人たちと言葉を交わすうち、爽子の人を見る目もしだいにまっすぐになる)。
この本は、爽子の視点の本編に、彼女の書いた“ドードー森”の物語が一話ごとに挿入される形式で進む。それはまるで、世界とひとりの少女の往復書簡だ。
そして、やりとりが生まれれば、そこに通路が開ける。
書いてと頼んだ小さな女の子をのぞいて、ほかの誰にも読んでもらうあてのなかった物語だった。しかし、誤解やすれ違いを乗り越えながら、彼女はついに、自分の<世界>の理解者となる少年に会う。もう、最初のかたくなさはやわらいでいる。

“ドードー森”の物語は、爽子の現実の世界に少しだけつながって終わる。
そのつながり方は、あまりにも「これしかない」と思えるものだ。読みかえすたびに私は何度でもうなってしまう。
書き手にとって物語は、世界を受け止めるための機構としてはたらく。それがしみじみとわかるラストなのだ。物語は扉のようなものだ。その外には世界があり、内側には魂がある。自由に外に出ていけて、また、帰る家がある。それはこれ以上ないくらい、幸せなあり方だと思うのだ。




コメント
『十一月の扉』を読んでみたくなりました。今回のイラストの色合いも好きです。ニットの白い色が暖かみがあり、優しいですね。 かなり昔ですが、長野県安曇野市で、高楼方子さん、千葉史子さんの作品展を観たことを思い出しました。
物語に現実のほうが引き寄せられていく…
不思議ですね。読む前と読んだ後で確実に自分が変わる、ということもありますね。
>>1
そんな素敵な作品展があったんですか。観たかったなあ。
『十一月の扉』は物語の話である以外にも、年の離れた女性たちとのあたたかな関係があったり、爽子と母との関係が変化する面白さがあったり、初恋の話でもあったりするので語り尽くせないのですが、寒宵堂としては、ここは物語にピントを絞ることにしました。読み応えのある本です。コメントありがとうございます。
重ねてのコメントで、失礼します。
今日(もう十二月になってしまいましたが)『十一月の扉』を読み始めました。
もう一行目から、自分がするりと、物語に入り込んだのが分かりました。文房具ラピスで、高級なノートを買う前に思案する爽子に、自分だったら、舞い上がって買う、と思いました。爽子、という名前がよく似合う子なんですね。
まだ読み始めたばかり、楽しみにページを繰ることにしますね。
素敵な本を教えて頂きありがとうございました。
>>3
「ノート一冊に全財産はたいて、いいものかしら……。第一、何書くのよ、こんな立派なノートに……。」(p.10)というところですね。どんなに素敵でもノートが250円くらいだったら、この話は始まらなかった気がします。子供の場合、いま手に入る中で一番いい道具が未来を開くことがあって、そういう話でもあるのかもしれません。コメントをいただいて気づきました。ありがとうございます。
半年以上経ってからのコメントを失礼します。最近満足に読書できておらず、昨年十二月から今までかかって、やっと本書を読了しました。この物語を教えて下さったことへお礼を言わせてください。子どもの頃に出会っていたら、爽子ちゃんの環境に憧れていただろうと思います。爽子ちゃんの周りの大人の女性たちの魅力的なこと!るみちゃんも可愛い、耿介くんの格好良さ! ラストでは胸がいっぱいになりました。いつからだって前を向いていける、そう思えました。
>>6
読了お疲れさまでした。お忙しいなか感想をお寄せいただき、ありがとうございます。中学生の爽子ちゃんが主人公ですが、大人の視点で読んでも、私たちは扉を開け続けるんだなあ、と力づけられる物語ですよね。物語との縁をたまたま寒宵堂が取り持つことができて、うれしく思います。