ひとりで図書館に行くとき、いちばん純粋に、ただ自分が着たい服を着ています。

(イラストは数年前の私信より。実際に図書館に行ったときの服の記録です。)
とにかく服を着るのは難しい。
仕事に行くなら信用されそうな服を、遊びに行くなら行き先に合わせた服を、人に会うならその人と釣り合うだけの服を、そしてそもそも年齢や性別に合わせた服を選ぶように、社会がなってしまっています。それ―社会のドレスコードというべきもの―に抗するにはそれなりの気力が要ります。
ただ、社会のドレスコードには、その力が及びにくい場所があります。
学生時代には大学がそうでした。学生の年齢も性別も様々で、フォーマルな服でも別におかしくはないし、一方でジャージで講義を受けている人もいました。極端だけど水着で受けてる人もいました(水泳部の着替えが間に合わない人が上だけパーカーを着て)。流行はありました。でもそれ以上に個性もスタイルも様々でした。私も、日によってフリフリのブラウスや、バリバリの第一次世界大戦風ミリタリー装で通学し、それ以外の大方は少年装でした(上のイラストの中央のような服です)。それで特に何も不便はありませんでした。同期には「コナン君みたいな格好してた人」、教員には「『トーマの心臓』みたいな格好してた子」と記憶されています。
さて。
もうひとつは公共図書館です。
大学を卒業して、「着たい服を何も考えずに着ていけるところ」がいったんなくなったように見えました。少し寂しかったです。
しかし、まだ図書館が残っています。私がフリフリのブラウスでもバリバリのミリタリーでも、スーツでもジャージでも半ズボンにハイソックスの少年装でも、公共図書館の対応は変わりません。
すごい、図書館、懐が深い!
考えてみれば当たり前です。そもそも公共図書館は、利用者がどんな人かを問わないものだからです。
すべての国民は、図書館利用に公平な権利をもっており、人種、信条、性別、年齢やそのおかれている条件等によっていかなる差別もあってはならない。
外国人も、その権利は保障される。
“図書館の自由に関する宣言”より
こんなところで“図書館の自由に関する宣言”を思い出すことになるとは。
図書館に入ればみんなただの国民、というか、国籍を持ってなくてもいいんだから、ただの人間です。
したがって、何を着て行ってもいいんです。

おしゃれ好き、特に社会のドレスコードからはみ出しがちなおしゃれ好きさんよ、図書館に行けばいいのです。おしゃれしてなくても、雪かきを終えたままのミツウマの長靴とアノラックで行ってもいいし、ジョギングの途中で立ち寄っても、もっと年を取って杖や酸素ボンベを持ったスタイルでも、図書館はきっと迎えてくれます。人間として。
図書館が大好きです。



コメント
とても楽しく読ませて頂きました。
どのコーディネートも可愛く、物語を感じるところが、いいなぁと思いました。(私は今日、小さな家のような形のポケットと、ボタンのない裾の部分に蝋燭が刺繍されたオフホワイトのネルシャツです)
個人的には、靴下と靴が好きなので、色合わせなどの組み合わせを考える時、ワクワクします。年齢が上がるにつれ、似合う服も変化してきましたが、もっと自由に服装を楽しんでもいいのかも、と思えました。
夏より服を重ねられる、秋冬のほうがコーディネートを楽しめるので、楽しみです。
>>1
コメントありがとうございます。
実際、今日のテーマは「メルヘン紳士」!なんて具合にテーマを決めたりします。たしかに物語ですね。そのままの自分に似合う服というより、物語の方に自分の身体を寄せていくという服の着方をしています。図書館に行くとその服装に引っ張られて、選ぶ本が変わったりします。そこも面白いところです。