ここのところ図書館で天沢退二郎を返して、天沢退二郎を借りていく人になっています。
『オレンジ党と黒い釜』の冒頭の、謎の引き込み線の部分(不気味で大好きなのだ)だけ読むつもりで、最後まで全部読んでしまいました。これはいつかこのブログの“本の話”で扱おうと思っている懸案の書ではあるのだけど、夢中になって全然何も考えてませんでした。おもしろかったです。

でもなんで、こんなにばたばた人が死ぬんでしょう、この話。ちょっと悲惨すぎやしませんか?魔法の力を借りて戦う小学生の子どもたちの、全員が両親のどちらかと死別しています。作中で説明はされています。彼らの両親は、敵である<黒い魔法>との戦いの犠牲になって、若くして死んでいったのだと。
私はこの作品を最初に読んだとき、<黒い魔法>のことを「死」だと思っていたのです。子どもたちが使う<時の魔法>が「およそ生命の源をつかさどるもの」と説明される、その対極にあるものだと捉えていました。しかし、今回読み返してみると、違う、もっと邪悪なものであることが確かです。この作品の続きである『魔の沼』でも、「死の国に至る道すじは完全にやつらに汚されちまってな。」(『魔の沼』オンデマンド版p.178より)と書かれていることからも想像できるように、<黒い魔法>を説明するならば、「およそあらゆる生命を犠牲にしてなんとも思わないもの」ではないでしょうか。
『オレンジ党と黒い釜』は1978年に出版されました。戦争の過去を清算しきれないまま高度経済成長をむかえ、歴史に残る公害事件が次々に明らかになった時代の影を、この作品に映して見ることもできます。
けれど、この作品の射程はそこでは終わらない。とにかく容赦なく「なにが正しくてどこへ行くべきか、わからなくなった世界」、「およそあらゆる生命を犠牲にしてなんとも思わないもの」が描かれたために、いつの時代でも、読む人を戦慄させるのです。
汲み尽くしがたい。曇ることがない、黒い鏡のような物語です。
ところで、主人公のルミは、野草料理が得意で、しっかり者でけなげ……なイメージがあったのですが(それが上のイラスト)、今回読み返して、行動力があってしかも結構勢いで動くし、竜には途中から「ルミ公」って呼ばれてるしなあ、と思って新しく描きました。「ルミ公」バージョンです。

「いやねえ、ルミ公だなんて!」
天沢退二郎著『オレンジ党と黒い釜』p.253より



コメント