今からちょうど100年前に書かれた、ぴかぴか光るニッケルメッキのメルヘン集だ。さびもしなければ埃もかぶらない。ねじを巻くとギムゲム動き出すよ。
このとんでもなく洒脱で、今なお新鮮な魅力を持つ不思議なショート・ショートは、大正12年(1923年)に出版された。大正12年といえば谷崎潤一郎や志賀直哉が活躍中、川端康成がそろそろ出てこようとする、そんな文豪たちの時代だ。
けれども、『一千一秒物語』に「文豪」「文学」の重さはない。
さあ皆さん どうぞこちらへ!
稲垣足穂『一千一秒物語』序 文庫版p.12より
いろんなタバコが取り揃えてあります どれからなりとおためし下さい
河出文庫版では帯に恩田陸が「よその未来からやってきた、ホンモノの宇宙人が書いた本である。」との言葉を寄せている。まさにそれ。特に「よその未来」というあたりがそうだ。この後どこまで時代が下っても、日本文学は稲垣足穂の方向には進まなかった。タルホはミルキーウェイの流れから離れて不敵にきらめく星である。
かといって、手に取りにくいほど理解不能でとんがっているわけではない。むしろ親しみやすい。私はこの街に入っていって、夜の街路をそぞろ歩きたい。
夜景画の黄いろい窓からもれるギターを聞いていると 時計のネジがとける音がして向うからキネオラマの大きなお月様が昇り出した
同p.13より
地から一メートル離れた所にとまると その中からオペラハットをかむった人が出てきて ひらりと飛び下りた
どこか懐かしい街角の風景でありながら、そこには湿っぽさがない。カラリと乾いている。
このお月様やホーキ星が徘徊する街で繰り広げられるメルヘンはしかし、ところどころ空間がねじれていて、外側を歩いていたつもりが内側に出てしまったりする(タルホは非ユークリッド幾何学が好きだ)。
ある晩 唄をうたいながら歩いていると 井戸へ落ちた
同p.46より
HELP! HELP!と叫ぶと だれかが綱を下ろしてくれた 自分は片手にぶら下げていた飲みさしのブランディびんの口から匍い出してきた
稲垣足穂が古びないのはこういうところにある。
一般的に、古びない文学作品は、「人間」と「世界」の関わりを普遍的に保存している。それは多くの場合「人間」のほうに力点が置かれがちなのだけど、「世界」の方に力点を置くやり方もあったわけだ。稲垣足穂はまるで宇宙人のように新鮮な目で世界の事象を眺め、それを書き留めた。そこには、自分が去ったのちも続いていく世界への愛が込められている。
私はタルホが天体や機械や数学などの変わらないものについて好んで語るとき、いつも、果てしなく続く世界の姿が一瞬だけ見える気がするのだ。

では、100年前のシガレットの封を切ろう。鮮烈な薄荷の香りが鼻先をかすめる。
追記:文学の主流は稲垣足穂の方向に進まなかった、とさっき言いましたが、少し視野を広げると、稲垣足穂の遺伝子を持った後継作品はあります。部分的にその遺伝子配列を受け継いだ(タルホっぽい要素がある)、という方が近いかもしれません。
井辻朱美『風街物語』(の、どの話だったか)では、街の空間がタルホ的なねじれ方をしていますし、イラストレーターの鴨沢祐仁が描く『クシー君の夜の散歩』や、たむらしげるの絵本作品には一千一秒物語のモチーフをたくさん見かけます。漫画だとコマツシンヤの短編集『睡沌氣候』ではファンタスティックな夜の街と、空間や縮尺のねじれがタルホ的です。見てるだけで楽しい。坂田靖子の短編集『村野』に収録されている“金沢月ばなし”はあまりのシュールさに最初あっけにとられましたが、なぜかいい。読み返したくなる作品です。
【関連記事】
◆2024年の稲垣足穂トリビュート展と、神戸の夜を歩き回った記録です。
◆ちょっと『一千一秒物語』っぽい夏のカードです。






コメント
ブログの更新を楽しみにしていました。
「一千一秒物語」、戦前とは知っていましたが、百年前だったのですね。
本棚から引っ張り出してきました。
私のものは、新潮文庫版で、北村薫さんの帯がついています。「何をちョこざいなお月様」この本は今読んでも、本当に新鮮で唯一無二だと思います。取り上げて下さって、ありがとうございます。
追伸:「光車よ、まわれ!」は半分まで読めました。30冊以上積読があり、並行して読んでいるため遅いです
>>1
コメット・タルホのせめて尻尾くらいは捕まえたい、との思いでこの名作の紹介に挑みました。喜んでいただけて何よりです。北村薫さんの帯もいいなあ。
ところで天沢退二郎の『光車よ、まわれ!』はこれ以上ないほどの終わり方をします。どうぞお楽しみに。