友桐夏は、読み手を、その世界にn+1番目の少女として迎える。
白い洋館のドアを開けると、彼女たちがいっせいにあなたを見返す。一人はきょとんとして、また一人は気さくに、一人は無邪気に瞳を輝かせ、一人はちらりと一瞥して、それぞれあなたを迎えるだろう。
あなたは今のところ無力だ。彼女たちと同じく。
まだ社会的経験も世間知もなく、それどころか「名前」もない。つまり、自分が何者で何をなせるのか、どこからきてどこへ行くのかわからない。
名前は、ひとまず仮の名前が与えられる。
白い封筒に、伏せられたカードが入っている。開けてみて。
同じ塾に通う5人の少女は、インターネット上で気ままなおしゃべりを楽しんでいた。互いに顔も本名も知らない彼女たちは、一人の提案で、休暇中に顔を合わせてみることにする。ただし、仮の名前を用意し、誰が誰なのか互いにわからないようにして。それは山奥の洋館を貸し切った、気楽なゲームのつもりだった。
ところが、約束をした5人のうち、実際に集まったのは4人。さらに、それぞれに隠された共通点があることに気づく。これは偶然なのか、仕組まれたのか。奇妙な夏の休暇が始まる。
さて、私はある程度大人になってからこの作品を読んだので、目の前に広がる少女ばかりの風景に、最初は彼女たちを俯瞰する大人の視点で読み始めてしまった。
しかし、友桐夏という書き手は巧みだ。大人でも、読み進めるうちに彼女たちと同じ目線の高さになっている。というより、そういう風に仕向けられるのだ(これは同作者の『春待ちの姫君たち』にも言える)。
それはおそらく、語り手が他者を推し量るまなざしに現れる不安さ、自信のなさによるものだ。その「たぶんこうだろう、いや、違うのかもしれない」と迷う視点に寄り添って読んでいると、読み手の経験もいつしか初期化されている。カードが伏せられる。私は名前を忘れる。
そのまま、あらためて少女ばかりの風景を見てみる。困った。どの子も得体が知れないわ。
それでも、未熟な目でできるかぎり、相手を見極めなければいけない。生き残るために。
彼女たちの間には、本人ですら知らなかった利害関係がある。誰が敵で、誰が味方なのか。
それに気づいた彼女たちは、さらに戦略を巡らす。誰に味方だと思わせておいた方がいいのか、誰を、抹消すればいいのか。

白い封筒に入った伏せられたカード、そのカードの役割や効力が判明していくように、少女たちの置かれた状況とそれぞれのもつ力が急速に明らかになる。誰もかれも知らないうちに盤上に立たされているのに、この命がけのゲームを降りることはすでに許されない。世界は残酷で理不尽だ(それはn+1番目にとっても)。
しかし、自分で選んだわけではない運命を相手どって、闘おうとする、強さの萌芽がここにはある。
「卒業したら、どうするの?」
友桐夏著『白い花の舞い散る時間 ガールズレビュー』p.211-212より
(中略)
現実を見つめた直後に答えは出ていた。
なんだ。こんな簡単なこと。
深月は無愛想に簡潔にただ一言でこたえた。
「―逃げる」
夏の休暇が終わるとき、少女たちはもう無力ではない。
カードを表に返し、覚悟を背負って、扉の外へ出ていく。
追記:イラストの余談。
少女を複数人描くとき、それぞれどんな服を選んで着るのかなー、と考えるのが楽しい。伶沙は気取らずGap、宵子は華やかにTOCCA、亜梨栖はゴシックロリィタのなかでもMary Magdaleneを選んで着てそう、というのが私のイメージです。深月は服装に好みを出さないことに決めたらしいので、じゃあ、きみにはすっきりとSTRAWBERRY-FIELDSとかどうだろう。でも画面の演出上フリルを着てもらいました。




コメント
キャラクターのカラーを気質分けからブランド展開させるあたり、引き出しの多さを感じさせますね…いや、というより女性特有のアンテナなのかな。
私は、幾つかの気に入って着用しているブランドにのみアンテナ特化しているので、その他のバリエーション性には疎いのです。
更新、久しぶりでしたね(・∀・)
>>1
ただ小説のイメージイラストを描いてるだけなのですが、これは監督、カメラマン、照明、美術、スタイリスト、演技指導を一人でやるおもしろさがあります。
ブランドと言えば学生の頃、漫画を描いている男子が、自分のキャラクターのスタイリングのために女性ファッション誌を毎月研究してましたから、これは絵描きあるあるなのかも。