月の暦―旧暦から見る長野まゆみ『夏至祭』

≪はじめに なぜ少年たちの集会は半夏生の夜なのか≫
 「半夏生」という不思議な響きの日を私が知ったのは、長野まゆみの『夏至祭』による。まだ、全国のスーパーマーケットがこの日をめがけてタコを並べ出す前のことだ。

 半夏生とは夏至の日から数えて11日目、または太陽が(公転する地球から見た天球上を通過していくラインである)黄道の100度の点を通過する日と定義されている。黄道と天の赤道の交点である春分点を0度と定めてあるので、夏至点が90度である。少し進んで半夏生は100度だ。
 それが、白い花の下で秘密の集会が開かれる日なのだ。

 祭りにするには、ずいぶんマイナーな日じゃないか?それに、『夏至祭』というよりは『半夏生祭』なんじゃないの?本を開いて黒蜜糖や銀色と遊びながら、実は、そんなことをうっすらと思ってきた。
 
 しかし、これでいいのだ。たぶんだけど。これはたしかに祭りの日だし、タイトルは『夏至祭』でいい。今年になって思いついて調べ、初めて納得がいったのである。

振り向く月彦と棠梨の花のイラスト。

(イラストは月彦です)

≪半夏生の祭り≫
 『夏至祭』を読むのは久しぶりだった。路面電車の中で月彦が、腕時計とミシン工場の時計を見比べるシーンから始まる。ふと、これどこの国なんだっけな、と思う。長野まゆみ作品は人物名によらず舞台は異国の町のことがある。路面電車ね……。読み進めると次の記述がある。

 道に青梅のかをりがしてくるとじきに月彦の家だ。東に天文台の丸い屋根が見える。その上空で飛び立ったばかりの単葉機が灯を光らせた。

長野まゆみ著『夏至祭』文庫版p.27より

 (ちょっと待って、天文台のそばに空港があるってこと?それって、天文台が長時間露光で夕方から撮影とかしたいとき、飛行機がじゃまじゃないか。えー、こんな無茶な立地……でもどこかで聞いたような……)

 ……三鷹の国立天文台と調布飛行場だ!
 ならばこれは、明確に東京の武蔵野の話だ(大時計があるミシン工場も、小金井の中央線沿いにかつて存在していた)。三鷹に路面電車はないけれど、その手前の荻窪までは都電杉並線があった。

 では、時代は?都電杉並線があったのが1963年まで。「遥か遠くの丘陵の上で回る観覧車」(p.98)が向ヶ丘遊園のものであるとして1955年ごろ以降。読売ランドのものとして1966年以降。おおまかに1950-60年代くらいか。
 その頃は半夏生はもっとメジャーな日だったんじゃないか?月彦は半夏生を知ってるもの。
 半夏生を調べると「旧暦の雑節のひとつ」と紹介される。農作業が旧暦で動いていた時代、この日は田植えを終えて集まり、地域によってさまざまなごちそうを食べる日だった[1]。だから、「集会」はこの日でいいのだ。夏至の日に集会イベントはない。田植えで忙しいからだ。

 次の問題だ。旧暦は、日本では明治5年に新暦であるグレゴリオ暦に置き換えられた。しかし、農作業をする集落では旧暦の文化が生き続けたということは、私はなんとなく知っている。これは具体的にいつまでだろう?
 日本中の村を訪ね歩いた民俗学者の宮本常一はこう書いている[2]。

 そこで日本ではふるくから、一つは太陰(月)のみち欠けによって定められた日付にしたがう日常生活と祭祀暦と、いま一つは農作業を中心にした農業暦の二つの暦が行なわれることになった。(中略)こうした暦の二重性のために、農民にとっては旧暦でも大した不便はなく、明治の改暦以降もながく旧暦がもちいられた。今日でもサラリーマン化、あるいは商業化の進まない地域では、なお祭礼行事的なものは旧暦がもちいられている。

宮本常一著『歳時習俗事典』p.331より“自然と暦”、初出は同著者『われら日本人』昭和35年

 昭和35年=1960年の時点でまだ旧暦の文化が生きている。作品を読んでいくと、この「集会」はどうやら時代を越えて(時空を捻じ曲げて?)開かれているようなので、より旧暦がしっくりくるような昔でもおかしくはない。
 
 そして、この作品を読むときに旧暦が意識されるのは、時代設定と「半夏生」のためだけではない。

「黒蜜糖、今回は諦めるんだ。次の朔月が来たらおとなしく帰ろう。」

長野まゆみ著『夏至祭』文庫版p.46より

 不意にやってきた黒蜜糖と銀色と名のる二人の少年が、月彦の近くにいられるのは、朔月と次の朔月の間だけらしいのだ。作中にも月の描写がちりばめられている。「土星と金星のあいだに切先の鋭い月がある。」(p.9)「月は細い。」(p.50)「満月は過ぎたばかりだが、ほぼ円に近い月がゆったりと杉の木の枝先をすり抜けた。」(p.106)「今夜は下弦の三日月のはずだが、月の出るのは零時を過ぎてからだ。」(p.126)いや、ちりばめられているというよりも、明らかに仕掛けられている。ほかの長野作品で見られるような、恒星の描写は本作では出てこない。日付や曜日も出てこない。月彦は学校に通っているし、新聞で日没時間を確認するシーンがあるのにもかかわらずだ。「集会」と少年たちの別れに向けて山場をむかえる物語のカウントダウンの方法が、月の満ち欠け、つまり旧暦の数え方でセットされているのである。

≪太陰太陽暦(旧暦)のしくみ≫
 「旧暦」と書いてきたが、正確には、日本における旧暦とは太陰太陽暦を指す。
 基本的に月(太陰)の満ち欠けでひと月を数える。新月をその月の一日(朔日=ついたち=月立ち)として、次の新月までをひと月とする。そうすると1か月が平均29.53(太陽)日になるので、徐々に季節と暦がずれてくる。3年近くすると1か月分以上もずれてしまうので、閏月を置いて太陽暦とのずれを調整するのだ。これが太陰「太陽」暦といわれる理由だ(調整しない、純粋な太陰暦もある。イスラーム暦がそうだ。季節の変化が激しくない地方ならそれでもいい)。

 ただ、閏月を待たずに季節を正確に把握するしくみもあった。地球から見た太陽の位置の1周360度を24等分して各期間に名前を付け、暦に併記することとしたのだ。それが二十四節気である[3]。

 (二十四節気って、あの、立春とか、啓蟄とかってやつ……風流でやってたんじゃなかったんだ!
 というのが正直な感想だ。いやはや。知らなかった。)
 さらに、二十四節気とは独立して、季節の把握のための節目の日があり、雑節と呼ばれる。節分、彼岸、八十八夜などが有名だが、半夏生もここに入る[4]。
 すると、一年を24等分した一節気は約15日間だから、夏至の日から数えて11日目である半夏生は二十四節気でいう「夏至」の期間に含まれることになる。

 なるほど「夏至祭」だ。

 もちろん、夏至のもつ「最も輝かしい季節」というイメージを、少年たちのいっときの交流に重ねたタイトルだ、という面があるだろう。けれど、ここまで要素がそろっていると、旧暦の影響も無視できないのだ。

≪結びに≫
 現代を生きていて旧暦を意識することは、もうあまりない。少なくとも、知らなくても生活には困らない。だから『夏至祭』のこの時間の流れ方も、そして、人と人でないものが饗応する空間も、過ぎゆく、消えていくものの一つとして書かれているのではないか、と思うのだ。
 これはやっぱり、過ぎゆくものに愛惜のまなざしを向ける物語なのである。
 
【参考】
[1]白井明大著『日本の七十二候を楽しむ 旧暦のある暮らし』東邦出版2012年
[2]宮本常一著『歳時習俗事典』八坂書房2011年
[3]米山忠興著『空と月と暦 天文学の身近な話題』丸善株式会社2006年
→ほんとにわかりやすくていい。
[4]本間美加子著『日本の365日を愛おしむ 毎日が輝く生活暦』東邦出版2019年

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